運命は白日

 死後の世界を信じていると言うと、大抵妙な反応をされる。
「おや、こんなところに俺の相棒が落ちてる」
 半笑いで「そうなの?」と言ってくるやつ、とりあえず話を合わせておこうとするやつ、素直に否定するやつなどさまざまだ。共通しているのは、どれも友達にはなれないタイプだということ。
「こりゃまた飲みすぎたな。よ、もう朝だぜ」
 じゃあ私は、どんな返答を望んでいるのだろう。それが分からないうちは、友達なんてできないのかもしれない。でも、私は死後の世界を信じている。
 混濁した意識が誰かの手によって引き上げられる。乾燥しきってくっついた瞼をべりべりと剥がしてみると、見知った男の顔があった。
「さこだ……」
「誰の部屋だと思ってるわけ?」
「さこ」
「ん?」
「死後の世界って信じる?」
「いや、信じねえな」
 特に驚いた様子もなく答えた男に、きっと以前にもこうして寝ぼけて聞いたのだろうと思う。
「そっか」
 それも、何度も。
 納得するとあくびが漏れ、ベッド上で大きく伸びをした。生理的な涙でようやく眼球が潤いを取り戻す。男は脱いだロングコートを外套掛けにかけ、ハットもてっぺんに乗せた。なんだか失礼なことを言われた気もするが、寝ぼけていた時のことなどいちいち覚えていられない。抑えきれなかったゲップには、不快なほどのアルコール臭が含まれている。起き上がることすらできず、男がベストのボタンを下まで外す様子を眺める。
「キスはぁ?」
「やだよ。酒くせェ」
「んふふ」
「水いるか?」
「うん」
 迫とは別に、相棒ではない。友達みたいなもので、つまり恋人ではなく、信用もしていなかった。でも、時折私をそのように呼称する感性は、少しだけ好きだ。
 男は私に水を渡し、風呂場に向かった。何をしていたんだか知らないが、どうせ何か盗んででもいたのだろう。ネット上にはあの男に関する情報がたくさん流れている。
 窓を開けると涼しい風が吹き込んできた。頭が殴られているようにがんがんと痛む。酒はよくない。歯を磨きたかったことを、シャワー音と共に思い出す。出てくるまで横になっていようか。

 眠るために歯を磨いたのに、完全に目が覚めてしまったので、眠っている(のだか横になっているだけだかは知らないが)男を横目に煙草を吸う。昨晩は何がどうしてあんなに飲んだのだろう。別に、酒を飲むのに理由はいらないけれど。
 ちらと男を見ると、小さく肩が上下している。
「迫」
「……」
「ねえ」
「おじさん寝てるんだけど……」
「夜暇?」
「うーん。一緒に来る?」
「行く」
「場所も聞かねえで。心配だよ俺は」
 こちらに背を向けていた男は、仰向けになって大きくあくびをした。
 行動はどうあれ、この男は割に一般的だ。まあ、互いの出自を知らずに、愛でもなくこうして共にあるというのは、一般的ではないのかもしれないけれど。灰を落とす。この灰皿だってこいつがどこからか持ってきてくれたものだ。買ったのか盗んだのかも分からないが、わざわざ、たまに来る私のために。
 私の個性がこいつの役に立つというのももちろんあるだろう。明らかにヒーロー向きではないが、戦闘向きではあり、心根が清廉であればヒーローを目指していたであろうメデューサの力。それを言ったら迫の力だってそうだが、要するにこいつも清廉とは程遠い人種だ。
よぉ」
「ん?」
「煙草なんて吸うもんじゃないぜ」
「うるさいな。親かよ」
「せめてお兄ちゃんにしてくれよ」
「きもい」
「あー傷ついた。おじさんは繊細なんだから、もっと丁寧に扱ってくれなきゃ」
「あっお兄ちゃん、ディオールの香水買って」
「そんぐらい自分で盗ってきなさい」
「意気地なし」
「馬鹿言え、の将来性を見込んでるんだ」
「は? 早く寝ろよ」
「誰に起こされたと思ってんだよ」
 煙を吐き出しながら、煙草を灰皿に押し付ける。なんだかんだ返してくれるので、つい話しかけてしまう。自称エンターテイナーは適当なことを喋るのが得意なのだろう。兄がいたらこんな感じだったのかなと思いつつ、こいつと血の繋がりがあるなんて嫌だなとも思う。
 男は体をこちらに向け、肘をついた。普段は隠している男前な面。眠そうにぎゅっと目を瞑り、また開くさまを眺めてから、テレビをつける。交通事故みたいに流れる個性犯罪のニュース。
「迫はさ……」
「なんだ」
「……なんでもない」
「じゃ、俺から聞くけどさ」
「え?」
 ──XXXX容疑者、三十二歳、高校教師。SNSを通じて知り合った男たちと共に銀行強盗を実行し、現場に駆けつけたヒーローに捕らえられました。男は”ヒーローを憎んでいた”と供述しており──
「本当に、俺と来るか?」
 小さな事件たち。ヒーローを憎んでいるのに、どうすることもできない者たちの、取るに足らない反抗。世界を変えたいって、思ったことある? 私はあるよ、迫。でも変えられないの、だから、死後の世界を信じてる……。「行く」激しくなる頭痛のリズムで目の前が少し滲む。「どこだか教えてくれなくても」そう続けると、男は真剣な表情を崩し、肩を竦めた。
「どこだとしても、のためにはならねえよ。俺についてきてよかったことないだろ?」
「一人で飲むよりよっぽどマシ」
「はあ、ま、が来てくれんなら俺も助かるよ」
「どうせどっか盗みに行くんでしょ」
「どうせってのやめてくれないかね」
「どおおせ、私が警備の人どかすんでしょーが」
がいなかったら自分でやるさ」
 下ろしていた片足も持ち上げ、椅子の上で体育座りをする。情報番組はもう、「取るに足らない反抗」について流すのをやめ、都心部の新しい商業施設を案内している。
「拗ねるなよ」
 テレビから目を離さないでいたら、男はついに体を起こしてしまった。
「いや、大人げなかったな。ごめん」
 そのまま立ち上がり、私の頭を撫でに来てくれる。私は、いつもこの男に機嫌を左右されている。たぶんどこまでも私を子供だと思っているから、本当の意味で私に恋をすることがないから、簡単に謝罪できるのだ。「おおっと」目の前の腹部に勢いよく抱きつく。硬い。
 私の目を見るのは怖くないのかと聞いたことがある。こいつは、まったく、と答えた。理由を聞いても教えてくれなかったが、あれが大人げということなのかもしれない。私だってお前の手に触れるのは怖くないと言ってやればよかった。今も頭を撫でる手。その気になれば私の頭だけを圧縮して殺すこともできる、手。
「さこぉ」
「はいはい。もう寝たいよ、おじさんは」
「セックスしよ」
「聞いてた? 寝るよ」
「どうせ私以外とやってないんでしょ」
「そのどうせっての、やめてくれねえかなあ」
 腰に回した腕を掴まれ、力を緩める。男が屈んだのでその腕を首に回し、目を合わせた。男は特に気にした様子もなく、よいしょ、と言いながら私の体を抱える。「おっさんくさ」「うるさいよ」笑っているとベッドに体を下ろされ、迫も横に寝転がった。一気に眠気が襲ってきて、目を閉じたままタオルケットを手繰り寄せる。
「ねえ」
「ん?」
「私のこと好き?」
「今日は質問ばっかだな。そりゃ好きだよ」
「へー、ありがと」
「あ、信じてねえな。人間不信め」
「んふふ」
 頬をつねられ、余計に笑ってしまう。迫みたいな男に溺れるほど、暇ではない。若くもないし(迫よりは若いけれど)、馬鹿でもないし、情もないのだ。でも、なんだかこいつとは一緒にあの世を見ることができるんじゃないかと思ってしまう。それが今日か、数年後かは分からないけれど。とにかく私はどこにでもついていく。そこまでする義理はない上捕まって人生が終わる可能性すらあるのに、どうしてだろう。楽しいからかもしれない。単純に。
 眠りに落ちる直前、キスをしてくれた、気がした。



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