目印の傷をあげる
深夜にコーヒーを飲んでいた。ベランダに出ると、風がスウっと首を撫でていった。右目の眼帯が蒸れている気がした。コーヒーの湯気のせいかも。
ずずっとマグカップに口をつける。熱くて思わず、舌を出した。
1年前、次元大介の暗殺に失敗した私は、依頼主から逃げるために名前を変えて、戸籍を捨てて、息を殺すように生きてきた。気づいたら依頼主はルパン一味にコテンパンにやられていて、私はまたこうして何も気にせず、ベランダに出てコーヒーで一息つく生活に戻れた。ルパン三世さまさまである。
いつか、彼らと話してみたい。会って、自己紹介して、お礼をしたい。「おたくの次元大介に恋しちゃったので、一年位死んだように生きてましたけど、あなたたちのおかげで、生きられました。ありがとうございます」よし、これだ。最初の一言はこれで行こう。
コーヒーは覚めない。舌を火傷した。せっかくさっきのセリフを練習しようと思ったのに。人生はままならない。
◇
人生はままならない。
仕事終わりの一服と思って、バーに入らなければよかった。
チリンとドアの鈴が一鳴り。小さな店内。一枚板のカウンター。暗い店内。ぽつりぽつりと彩られる間接照明が、彼の赤いジャケットと年季の入った帽子を浮かび上がらせる。
「ルパン三世?」
「あらぁ?俺ってば有名人」
ひょうきんなサル顔。明るく朗らかで、でも確かにジャケットの下にはワルサーが控えていた。彼の横には、必ずいるのだ。
相棒が。
「そりゃあんだけでかく新聞の一面に出ればな」
次元大介。あなたの声はそんな声なのか。
目の前にいる。穏やかな殺気をマントのように着込んだ、まるで弾丸そのもののような、次元大介。
ああ、どうしよう! あなたに当てられた傷! あなたに向けられた銃の疼き! 何一つきっと伝えられない。何も準備してない。今日が運命の日だったなんて!
私は思わず口元に手を当てる。指先は小さく震えていた。推しに会うってこういう感じなの? 初めての感覚。初めての高揚。次元大介をスコープで捉えた時以来の、この震えに、私は大きく戸惑った。
次元大介が私を見る。おや? と首を傾げ、隣の席の椅子をちょっと引いた。
「隣、空いてるぜ」
今日、死んじゃうのかもしれない。
次元大介が私の隣でウィスキーを飲んでいる。前会った時は1キロ離れていたから、こんな至近距離、私の心臓の音が聞こえてしまうんではないだろうか。
これはもうファンサだ。どうすればいいんだ。
気づかれないように小さく鼻から息を吸えば、次元大介の香りを体内に取り入れることができた。相当タバコを吸っているだろうに、白檀の香水のせいか、緩やかな甘味が鼻腔をくすぐった。香りまでいいのかよ、悔しい。
マスターにジントニックを頼む。硬い氷がグラスの中で着地する。からりと高い音が、バーの中で響いた。
「お嬢さんはここのバーにはよく来るのかな?」
ルパン三世が人懐っこく聞いてくる。
「あ、いや、たまに」
「ああ、そう」
ニコニコと笑う。本当に死にそうな気がしてきた。ルパン三世がここまで第三者に話しかけることはないはずだ。以前情報屋から聞いた話を思い出す。可愛い女性であれば誰彼構わずナンパするし、ファンサみたいなことはするが、そういった対象ではないのであれば、情報を聞き出すくらいしかしないと言っていた。
今日の自分の服装を見る。深い目出し帽、黒いズボン、黒いTシャツ、大きなカバン。この中にはスナイパーライフルが入っている。なんて洒落っ気のない。自分にがっかりする。こんなことになるなら、もっとおしゃれすればよかった。
「そのカバン、随分重そうだな」
次元大介のその声には柔らかな響きがあった。「あなたを以前撃とうとしたライフルと同じ形のライフルが入ってます。あなたと私をつなぐ運命のグッズです」なんていえたら、洒落が効いているかも。
いや、言えない。一旦待って、どうしよう。なんて答えるのが正解か。
マスターがジントニックを私の前に差し出す。思わず、勢いよく飲む。
「おいおい、そんな一気に飲んだら」
「喉が、渇いていた、もんですからッ」
ジンが食道を少し焼く。もう、酔いたい。ここまできたら。へべれけになって、迷惑かけて、迷惑かけたから死ぬねって言ってライフルで頭撃ちたい。
こんな緊張、初仕事の時以来だ。自分でいうのも何だが、それなりに仕事はできた方だった。失敗したことはないし、確実に、最適な方法で処理をしてきた。だからこの稼業に10年ほどいられたのだ。
だというのに、今の自分の動揺っぷりはなんだ。ただ好きになっちゃった人と話すだけなのに、しかも、相手は自分のことを知らないというのに。まさか、次元大介だってこのカバンの中に自分を撃とうとしたライフルがあるってわかって鎌をかけたわけでもあるまいし。そんな、まさか、ねえ。
冷や汗が出始める。もしかして、次元大介を狙ったことを知って、なんか知らない間にこの店に来るように仕向けられてた? やっぱりここで死ぬのか、私? この酒が最後の死に水……?
「ライフルとか入ってたりして?」
ルパン三世を見る。眼帯の中が蒸れている。
彼の目の中の私は、無表情だった。
◇
無表情の私と目が合う。私は私に問いかける。
どうする? どうしたい?
私は、どうしたかったんだっけ。
もし次元大介に会えたら、お礼を言いたかった。
握手がしたかった。
あなたのことが好きになりましたって言いたかった。
次元大介の心臓を撃ちたかった。
その心臓を私だけのものにしたかった。
私は、次元大介を、私だけのターゲットにしたかった。
◇
腰から抜いたピストルの銃口は、確かに次元大介の心臓にあたっていた。ピストル越しに、彼の拍動が伝わる。
「血気盛んだね、お嬢さん」
ルパン三世はケラケラとウィスキーを飲み干した。
私はピストルの引き金を引かない。引けない。私の額には次元大介のマグナムの銃口がピッタリと当たっていた。
早撃ちの名手というなら、私の指より先に次元大介の指の方が先に動くに決まっている。
どくり、と次元大介の心臓の音が響くたびに、私のピストルの銃口の位置はズレていっている。一方次元大介の銃口は同じ位置のまま、ずっと変わらない。
格が違うのだ。
ため息をついて、私は見上げる。次元大介がこちらを見ている。随分と可愛らしい黒目ガチの目が、じっと、見透かすように、こちらを見ている。
可愛い! こんな可愛い目をして、こんな可愛い顔で見てたんだ!
ブワッと頬に熱が一気に溜まった。
またピストルの銃口の位置がズレる。次元大介はめざとく、その位置ズレに気づいていた。にやっと片方の口角をあげた。ずいっと顔を近づける。また、ピストルの位置がずれる。次元大介のマグナムは、全く変わらない。
「お前は、俺に敵わない」
敵わねえに決まってるだろうが!!
ガタン、と勢いよく立つ。こんなところ、もういられない。早く逃げ出したい。
財布から札を何枚か取り出して、カウンターに置く。ライフルの入ったカバンを背中に背負って、大股で扉に向かう。
「また会おうね」
振り返ると、ニタニタと笑ったルパン三世が手をひらひら振っていた。次元大介もこれまた愉快そうに笑っていた。何がそんなにおかしいのか。こっちは真剣だ。
私は姿勢を直して、右目の眼帯に手をかけた。
「次元大介、この目印忘れるなよ!!」
ふん、と鼻を鳴らして、外に出る。
思ったより外は寒くて、コーヒーが飲みたくなった。
◇
私の右目には、生々しい銃痕が残っていた。
私はあなたには敵わない。
だから、ちょっとだけこの生々しい傷にモヤついて、考えればいいんだ。
この目印の傷はあなたからもらったって、気づけばいいんだ。
そうしたら、今度こそ、あなたに目印の傷をあげる。
心臓に、一粒、鉛玉。
企画/光 title by Hinge 25.02.18