不安を縫って食べて

 お裁縫は本当に苦手。
 家庭科の時間は苦痛でしかなかった。そろそろ授業が終わる。お友達は自作のエプロンを胸に当ててはしゃいでいる。水色、ピンク、白色、爽やかな風が教室を抜ける。
 真っ直ぐになんて、ちっともできやしないし、細かく縫うなんて真っ平。自分で作ったエプロンを着て調理実習をするなんて先生は言っていたけど、そんなことはメイドにやらせればいいのよ。ちくりと指先を少し刺しては、すぐに引っ込めてを繰り返す。効率がすごく悪い。
 お友達はみんな上手に出来る。それがちょっぴり羨ましい。私が恨めしそうにお友達を見ていたのがバレてしまって、はしゃいでいたお友達はシュンとして私の作品を見にきた。
「できました?」
 私の作品を覗き込む。えっというあからさまな声を上げた。私は大袈裟なため息をつく。すると、お友達は、またあからさまに手を振り出す。
「前よりも布と布がくっついていますし、着られればなんでもいいですよ」
「ほら、ここなんて、縫い止めが出来てますわ。前はすぐ針から糸が抜けていましたのに」
 まるでおべっかみたいで、少し気分が悪くなってしまう。それでも貴族は表情を変えてはいけないから、困ったような顔をして一言呟く。
「皆様ありがとう。また教えてくださいな」
 ほうと、お友達はため息をついて、うっとりと頷く。困り眉って、本当にモテるんだ。ルパンが言ってた通り。
 時計を見るとそろそろ授業が終わる。この課題は今日までだというのに、全く終わらない。



 結局居残り。貴族だからとか地位がどうとか、そう言ったことは関係ないのである。いくら私が少しばかり有名で、見目が良くて、誘拐慣れしてるからって、課題は待ってくれない。まぁ、この居残りは私から提案したものだから、先生は全く悪くないし、なんなら、早く帰りなさいと言ってくれた。それでも、残りたいのには訳がある。用心棒の次元が、仕事の関係で少し到着するのが遅れると聞いていたから、どうせなら居残りすればいいと思ったのだ。
 朝、次元は本当に困った顔をして、迎えの車をよこすから自分を待たずに帰れだの、仕事がなん時に終わるかわからないだの、散々いろんなことを言ってきた。
 次元と一緒に帰るようになって1年は経っている。もうこの習慣を変えるのは、少し難しい。だって、一緒に帰るものだと思っているから。くたびれたスーツがよく似合うおじさん。花冠がバカみたいに似合わないおじさん。気づいたら私の横にいて、ごつごつした手を差し伸べてくれる。次元がいなかった日を思い出すのも難しくなってきてる。
 はやく次元に会いたいな。きっとこのエプロンを見たら、鼻で笑うんだろう。悔しいけど、そうやって私をからかってくれるのは次元くらいしかいないから、嬉しくて、うっかり腕を引っ張ってしまう。

 教室には私しかいない。大きな窓にそよぐレースのカーテンが、風ばかりを通してくる。校庭の緑がざわついている。太陽の光を反射して、水面のように揺れる。心細いこの気持ちも巻き込んで、煌めきに連れて行ってくれる気がした。
 教室のドアが開く。次元だ。
 振り返ると、確かに見覚えのある彼がいた。黒い帽子、くたびれたスーツ、硬そうな髭、長い足。胸ポケットからタバコのケースを出して、気まずそうに仕舞う。
「遅かったね」
「今日は仕事って言ったよな」
「そうだったかしら?」
 あからさまなため息。無遠慮に私に近づく。彼に遠慮はない。私が作る歪なそれを上から覗き込んだ。
「あともう少しだな」
 えっ、と声を上げると、次元はなんてことないかのようにそれを指差す。
「エプロン。出さなきゃなんねぇんだろ」
「……ええ」
「出来るまで待ってやる」
 そういうと少し後ろの席にどかっと座った。長い足を机に投げ出す。本当にこんな格好をする人がいるんだ、と新鮮になる。教室には似合わない彼の姿は大層愉快なものであった。きっと彼にも学生時代はあったんだろうけれど、想像つかなくて、くすりと笑う。
「次元はお裁縫得意?」
「あ?」
「お裁縫」
「あー、ボタンとか取れたら自分で縫うが、そのくらいだ」
「学校行ってた時とか、こういう課題はやらなかったの?」
「覚えてねぇな」
 風が抜ける。今日はよく風が、抜ける。
「出来たら起こしてくれ」
 彼のぶっきらぼうな声が後ろからする。すー、すー、と規則的な寝息。嘘でしょ? と振り返ると、腕を組んで足を投げ出して、肩は上下していた。たぶん、寝ている。まぁ、この気持ち良い空気は、眠くなるかもしれないけど、用心棒がそんなんでいいの?
 とりあえず課題を完成させなくてはいけない。とはいえ、あともう少しでできる。糸の後始末をする。ピンクの可愛らしい布で作ったそれは、縫い目もガチャガチャで、お世辞にもうまくはなかったが、まぁ、エプロンとしての機能は果たせそうだった。
 裁ち鋏が目につく。いつだったか、誘拐犯に突きつけられた刃物の冷たさを思い出す。あの時は、一瞬突きつけられただけで済んだ。次元が一発ぶち込んでくれたから、すぐに事件は終わった。 
 魔が刺した。すうすうと安心して寝ている次元の首元に裁ち鋏を置く。気づくかな、くらいの軽い気持ちだった。思いっきり刺したら、次元も、きっと死んじゃうんだよね。そうしたら、私の元からいなくなって、会えなくなっちゃうんだよね。嫌だな、さみしいな、どうすればいいんだろう。
「そんなんじゃ死なねぇよ」
 帽子の鍔の下、うっすらと目がこちらに向いていた。口元は少し笑っているようだった。首元の裁ち鋏をそのごつい手で掴む。そのまま胸の中央に持っていく。
「お嬢ちゃん、ここが大事なところだ。わかったか」
 何か諭すように、言う。本当に今日は風が気持ちいい。エプロンが机から飛び立つ。窓の外に落ちたかもしれない。でも、どうでも良い。
 ニヤリと笑うこの男を、私は絶対に離さない。



23.06.08