雨粒を取り零す

「4月といえば、雪よね!」
 次元大介は「はぁ?」と大きな声でため息をついた。くるりと少女がこちらを向く。広い庭に、燦々と溢れる太陽の光。幸せを煮詰めてジャムにして瓶に閉じたみたいな、そんな光景に胸焼けがしそうだった。
 目の前の少女の瞳が星天のようだった。たくさんの光を取り込んで、宵闇ばかり深まって、その輝きが鋭く放たれる様に、頭を抱える。どうやったって、敵うわけがないのである。
 さて、彼女の言った意味不明なそのセリフは、きっと映画のタイトルで見たからだ。その映画を見るには彼女の年齢は足りていない。きっと、タイトルの違和感を強烈に覚えていただけだ。だから、次元大介は「はぁ?」と大きな声で否定する。見るなよ、という意味も込めて。
「珍しいもの、見たいでしょ?」
「珍しいものって、なんのことだ」
「なんでもよ! 世界の珍しいものは、なんでも見たいわ! 宝石だって、お洋服だって、お菓子だって、お花だって! 次元はなんでも見れていいわね」
 少女はなんとウィンクをする。下手すぎて両目をつぶった。ただの瞬きだ、それは。きっと相棒が教えたに違いない。次元大介はまた大きなため息をつく。こんな任務、さっさと辞めてやりたい。

 護衛任務は副業として割りが良かった。やることは、金持ちのそばにいること。ただそれだけだった。必要があれば銃を撃てば良い。必要なければタバコをふかしていれば良い。次元大介の早撃ちに適うものなど誰もいないから、報酬は釣り上げるだけ釣り上げた。誰も彼に報酬を払ったなど言いたくないからこの金は世には出ていないものであった。だから税金の申告もしなくて良い。楽勝楽勝。今回の副業も、そういう楽なものだと思っていた。さる王国の貴族のお嬢様の護衛。お嬢様は8歳になろうかという年だった。美しい栗毛は腰の高さまであり、零れ落ちそうなほど大きな瞳は人の心を射抜いていく。真っ赤な唇はラズベリーのように小さく、肌は陶器よりも滑らかだった。おかげで周りの大人からは猫可愛がりされ、政敵からは狙われ放題になった、ということらしい。他にも秘密の一つや二つありそうなものだが、そこは探らないのが鉄則だ。もし知ったとしてもどうにもできることではない。ただ、何かあった時守るだけの、それだけの仕事に、秘密などあっても邪魔なだけである。
 次元大介の副業の仲介は、たいてい相棒のルパン三世か、昔馴染みがしてくれる。今回はルパン三世だった。きっと今度の仕事で必要だから、これを預けてきたのだろうと思う。だから、気を抜くわけにはいかないが、それにしたって、8歳児のお守りをするとは聞いていない。「お前、ガキのお守り得意だろ?」とヘラヘラしてきやがったあの顔、忘れるわけにはいかない。
 少女が手に花冠を持ってくる。流石お貴族様の邸宅である。敷地には大きな城のような屋敷と庭園がある。庭園には彫像もあれば花畑もある。手入れされている花壇もあれば、ワイルドガーデンのような装いの場所もある。少女が作ったその花冠は、きっとそのワイルドガーデンからとってきたものを使ったのだろう。かなり大きなそれをニコニコしながら持ってきた。なんだ?
「あげる!」
「え? 俺に?」
「それ以外に誰がいるっていうのよ! 面白いわね、次元って」
「帽子は外せないぞ」
「知ってる知ってる」
 座って、と言われるので少女の目の前に座る。尻に土がつく。そういえば昨日雨が降っていたような気がする。まぁ、払えば良い。
 ふぁさりと、帽子が重くなる。花びらが一枚、目の前を過ぎる。小さな花びら。これはさっき、少女が手に持っていた花だった。白、ピンク、緑、黄色、春を纏うそれらは自分に関わらないと、そう思っていたというのに。頭の上、もとい帽子にかけて仕舞えばあっという間に春うららだった。
 少女は満足げで、次元大介はブスッと横を向く。
「これは次元は見れないわね!」
 ウフフと笑う。風が舞う。小さな花びらが幾重にも幾重にも落ちていく。雪のようで、雨のようで、むず痒い。こんな仕事、いつか辞めてやる。次元大介の節くれだった指にそれが落ちそうになるから、そっと指を広げると、指の間を通って地面に落ちた。なんだか、勿体無いような気がした。



23.02.28