花売りとパラシュート



「オズさま! 見ていてくれましたか?」
 駆け寄ってくるアーサーに、オズは「見ていた」と短く答える。
さまも?」
「もちろん」
 オズの傍らで女が微笑みを返すと、アーサーは一層よろこんだ。
「私からもオズさまとさまが見えました、手を振って下さったのも! くるくる回っているから見えない時もあって、でもまた、ちゃんと見つけられました!」
 うんうんとが相槌を打っているうちに、オズはアーサーに帽子をかぶせる。乗り物に乗るときに飛ばされないようにと預かっていたものだ。角度を調整し直すと、アーサーはつばの陰から「ありがとうございます」とオズを見上げた。
「次はどれがいいでしょうか? 今度は一緒に乗られるのがいいです。オズさまとさまはどれがいいですか?」
「私は何でもいい。お前が好きなものにしなさい」
「この辺りでまだ乗ってないのはどれかしら」
 地図を広げて屈んだの横でアーサーがそれを覗き込む。「今はここですか?」「うん」「これはもう行きましたか?」「ううん。ああ、これならきっと一緒に乗られるわ」「行ってみたいです!」。
 端でその様子を見ていたオズが口を開いた。
「決まったのか」
「はい!」
 弾けんばかりの返事をしたアーサーがぴょんと跳ねる。
「次はジェットコースターです!」



 連休を控え、どこか行きたいところはあるかと尋ねられたアーサーは、まずぽかんと口を開けた。それから口元をむずむずとさせ、ひとしきりそわそわとし、心ここにあらずと言ったふうに夕食と入浴を済ませると、いよいよ就寝という段階になって、遠慮がちに一言、オズに打ち明けた。
「遊園地に行ってみたいです」
 もとより叶えるつもりで尋ねたのだから、望みに否を唱える理由はない。とはいえ、オズが遊園地について知っていることは大型の娯楽施設という程度で、アーサーから聞いた時点では、それが今暮らしている国のなかにあるのかすら定かではなかった。アーサーもさほど詳しくはないらしい。概要を調べ国内で有名な施設をいくつか絞ったが、実態は判然としなかった。

「遊園地?」
「そうだ」
「ああ。それでアーサー、なんだかそわそわしていたのね」
 呟いたの視線の先には、オズの迎えを待っているうちに眠ってしまったアーサーがいる。
 前職の後始末や現職での会議が予定されている日は、フィガロやにこどもを任せることがあった。両名ともに前職の頃から付き合いのある人間だが、とりわけ住居の距離が近いだけあって、に預けることは多い。
 オズとアーサーの住むマンションの一室、その階下には住んでいる。もとよりが所有し住処としていた物件に、オズが空室だったフロアのひとつを買い取る形で移り住んだ。アーサーと暮らすにあたり引っ越しは必須であり、そのために外せないいくつかの条件を備えていたのがそこだった。探してきたフィガロは「正直どうかと思うけど」と言いながら、しかしオズが構わないと伝えれば最終的な手配を行なった。ワンフロア一室であるため、隣人がいないのも都合が良いとオズは感じている。居場所を変え、生業を変え、オズはアーサーとの暮らしを整えた。
 その日も、オズの勤務先では職員会議が終わる気配を見せず、無理に切り上げてきたところだった。
 夜食を摂らないならスープだけでもと促され席に着く。女はアーサーと作ったのだと語りながらキッチンへと向かった。
「遊園地、どちらにいらっしゃるの?」
 野菜の煮える香りの向こうから女が尋ねた。「この辺りなら」と名が挙がった施設は、オズも調べた中にあったものだ。
「決めていない」
「あら」
「……お前は詳しいのか」
「どうかしら。ずいぶん昔に行ったことはあるけれど」
 そう答え、は少し沈黙の後「アーサーはあなたとならどこへ行っても楽しいって感じると思う」と続けた。
「それでもお悩みなら、うん、アーサーくらいの子に人気なのはここかな。初等部の方でもよく名前を聞くの」
 オズは、がいくつかの学校で非常勤の美術講師をしていることを思い出す。おそらく確かな話なのだろう。差し出されたディスプレイには、アーサーくらいのこどもが惹かれそうな色合いのキャラクターや乗り物の写真が載せられている。
「参考にする」
「うん、楽しんでいらしてね」
 オズがそのままディスプレイを覗いていると、視界の外から「ゆうえんち……」と芯の抜けた声が聞こえてきた。見れば、アーサーが目を擦りながらこちらを見つめている。ソファの背にもたれかかった身体は、そのままずるずると崩れ、再び眠りの世界に落ちるのにそう時間はかからないと思われた。オズは席を立ち、妙な姿勢でむずがるアーサーに歩み寄る。
「オズさまおかえりなさい……」
「ああ。部屋まで運ぶから眠っていていい」
「ゆうえんち」
「わかっている」
さまもごいっしょですか?」
 だっていまゆうえんちのおはなし。むにゃむにゃと幸福そうに口元をほころばせ続けたその先は言葉にならず、微睡みに溶けていった。



 乗り物を降りてからというもの一言も発さずよろけながら歩くアーサーに手を差し出す。「アーサー、つらいのであれば……」休むか、もういっそ帰ってもよいのだと告げようとしたオズの言葉をさえぎって、こどもがぱっと顔を上げた。快晴の色を映した瞳がきらめいている。
「すごかったです! 落っこちるときに胸がぎゅうってなって、心臓が飛び出てしまうかと思って、ドキドキして……。オズさまは怖くなかったですか?」
「怖くなかった」
「すごい。もう一回、もう一回乗りたいです! そうしたら私も怖くなくなるかもしれません」
「怖かったのではないのか」
「怖かったけど楽しかったです!」
 はしゃぐアーサーの背後で女が笑った。
「アーサーは勇敢だわ」
さまは怖くなかったですか?」
「ドキドキしちゃった」
 オズは女がセスナ機で急降下しようと顔色ひとつ変えないのを知っている。嘘ではないにしろ、アーサーと同等の意味合いではないだろう。「怖かったのが私だけでなくて少し安心しました」とアーサーがはにかんだところを見ると、結果的には方便なのだろうが。
「もう一回乗るのもいいけれど、少し休憩しましょうか。目が回っちゃう」
「あっちで」と女がベンチのある方角を指さした。近くには色調の強いバンが停めてあり、人が列をなしている。
「飲み物と……、食べる物も売っているみたい。チュロスかしら」
「チュロス!」
 こどもの腹がくうと鳴いた。

 人混みを縫い、深い緑色をしたベンチへと辿り着く。アーサーとを座らせ、オズが買い出しを名乗り出た。ベンチの後方に位置するバンに並ぶ間、夢中で話すこどもとそれに丁寧に相槌を打つ女の背中を眺める。
 は求められるだけ、アーサーの世話を焼いた。は当然のようにそう振る舞ったし、オズも最初からそうであったかのように、の振る舞いに疑問を持つこともなかった。今日の同行についても同様に。
 フィガロに一度だけ、指摘されたことがある。あんなことがあって。あんなことがあって、疑問にも思わないのか。オズはそれになんと返したのか覚えていない。
 アーサーの分の菓子と三人分の飲み物が入ったバスケットを手にベンチへと向かう。近づくにつれ、こちらに背を向けた二人の会話がかすかに耳へと入ってくる。
さまは、遊園地にいらしたことがあるのですよね」
「うん、ここではないところだったけれど」
「オズさまとですか?」
「ううん。オズと会うよりずっと昔のことよ」
「では、さまのお父さまやお母さまと?」
「どちらでもないけれど、でも、私のとっても大事なひとと」
「その方は、……あっ、オズさま!」
 オズに気づいたアーサーがぱっと顔を上げた。も次いでオズを見ると「おかえりなさい」と微笑みを浮かべる。
「アーサー、これを」
「ありがとうございます、オズさま」
 受け取ったアーサーはきらきらとした瞳でそれを眺め、「いただきます」とかじりついた。表面にまとっていた砂糖がぱらぱらと溢れる。
「あら、お膝にハンカチ敷きましょうね」
「んん、……ありがとうございます、さま」
「おいしい?」
「おいしいです!」
 女が頬についた砂糖を拭う。アーサーは大人しく拭かれるのを待ち、甘えと照れを滲ませて笑った。
 アーサーはもとより素直に感情を表現するこどもだったが、最近ではより気を張らずに過ごしているように見えた。時折言動に甘えが滲むようになり、稀に無茶を言う。フィガロはそれを良い変化だと言い、はただ、よかったねと言った。どちらも最初から、こどもという生き物の相手をするすべを知っているようだった。
 十分に世話を焼かれているこどもから視線を外し、園内を見渡す。
 動物の着ぐるみ、彩られたパラソル、こどもの玩具のような丸くつるりとした建物。歓声に似た悲鳴と笑い声。
 目にも耳にも騒々しく、なにより構造を把握しにくいため、入園してからはひとまず園内を時計回りに一周するように歩いた。アーサーの気に入るアトラクションを利用しては奥へと進み、それもそろそろ折り返しに差し掛かろうとしている。つまりまもなく先が園の最奥。園外からも目視が可能なほど高くそびえ立つ城が、そこにある。
 園内地図の表紙にもなっているそれは、この遊園地のシンボルであるらしかった。欧州の建築に習ったらしいその城は、その他の玩具のような色合いの遊具とは異なり、古典的かつ厳かな装飾であしらわれ、頂きにはひときわ高い塔を持つ。城壁はないが、浅い堀で囲っており、開け放たれた門へと続く道は広い石橋のみである。
 「気になるの?」女が言った。「ちょうどこの後行きましょうって」
 ね、と視線を向けられたアーサーが頷く。最後の一欠片を咀嚼しているところなので返事こそしないものの、瞳の輝きはあまりにも雄弁だった。  オズが尋ねる。
「あれもアトラクションなのか」
「うん、あれはね」

「すごい! 見てください、オズさま! さま!」
「それは鏡だ」
「わ! オズさま、そちらにいらしたのですね。うふふ、オズさまがいっぱいです」
「アーサーもいっぱいだわ。あ、見て。こっちにも道がある」
「はい! あれ? さま? オズさま、さまがいなくなってしまいました」
「アーサー、こちらへ」
 吊り下がる絢爛なシャンデリア、アカンサスのモチーフを装う内壁、足が沈み込む緋色の絨毯。そのひとつひとつが、こどもが読む絵本のように誇張されていた。おおよそ城らしい内装だが、特筆すべきは壁を占める鏡の多さだ。壁一面が鏡張りなこともあれば、他の装飾と馴染むように黄金色の額縁で囲った鏡が、大小様々に飾られている壁面もある。
 オズやが方向を見失うことはないが、アーサーは見事に惑わされた。は、それを楽しむものなのだと言う。オズには理解しがたかったが、アーサーが恐れる様子もなく、むしろ前のめりに進んでいるのを見ると、そういうことなのだろう。
 時間か進行度で入場を制限しているようで、オズたち以外に人影は見当たらない。
「こっちに道が……、あれ? なくなってしまいました、オズさま。オズさま?」
「こちらだ」
「オズさま! 手を繋いでもよろしいですか?」
「ああ」
 エントランスで三手に分かれていた通路は、進むうちにある程度の距離で合流していた。分かれ道はあるが、実質的には順路は一本のようだ。
 オズの手を握りどんどんと前へ進みながら、アーサーが言う。
「さっきお聞きしたのですが、さまは、お父さまでもお母さまでもないけれど、とっても大事な方と遊園地にいらしたことがあるそうなのです」
「……そうか」
「アーサーもおんなじです。オズさまが遊園地に連れて来てくださいました」
 こどもはオズの手を握り直す。幸福であると断言せんばかりの笑顔で。
「あ、さま!」
「ああ。よかった、ちゃんと会えて」
「いなくなってしまわれてびっくりしました」
「ごめんなさい。でもほら、この先もお部屋になってるみたい」
 辿り着いたのは食堂らしき広間だった。十数人が座ってもゆとりがありそうなテーブルに、形ばかりのカトラリーが並ぶ。この部屋からも幾手かに道が分かれている。
 オズの手を離れ、室内のセットを物珍しそうに眺めたり、どの道を行こうかと通路を覗いたりと忙しなくしていたアーサーは、やがて十歩ほど先でこちらを振り向き、オズを見つめた。
「どうした」
「あっ、本物のオズさま!」
 また鏡ではないかと疑っていたらしい。
「本物のさまはどちらでしょう」
 アーサーが辺りを見回すがその姿はなく、鈴蘭を揺するような笑い声がだけが響く。
さま?」
 返事はない。きょとんとした顔のこどもは、しかしすぐにかくれんぼが始まっていることに気づくと、仔犬のように駆け出した。いくつもある曲がり角、長い長いテーブルの下、太い柱の陰に、絵画を装った鏡の裏。見つからないことを面白がるように次々と覗いていく。
 前触れなく始まるかくれんぼは、アーサーが気に入っている遊びのひとつだった。
 オズはそれをしばらく眺めた後、アーサーが困り始める前に、合わせ鏡で作られた死角のひとつまで迷わず歩く。その間にも鏡たちはオズの姿を捉えては見失う。
 目的の曲がり角に手をかけようとしたその時。
「見つかっちゃった」
 華奢な身体が自ら現れるのがひと足早く。互いまであと一歩の距離で鉢合わせると、は少女のような仕草で笑った。
 どこかでそれを見たことがあった。
 あ! とこちらに気づいたアーサーが駆け寄ってくる。
さまが壁の中から!」
「うふふ、おいで」
「オズさまは探すのがとってもお上手で、私もいつもすぐ見つかってしまうのです。でも、さまも隠れるのがとってもお上手でした」
「そうかしら、たくさん練習をしたからかも」
「かくれんぼをですか?」
「うん」
 アーサーは不思議そうに瞬きをした後、くすくすと小さく笑った。
さまにもおてんばさんだった頃があるのですね」
「うん、そうなの。だからたくさん叱られたわ」
 言葉とは裏腹に、声音は軽やかで柔らかい。
「アーサーも隠れる役をする?」
「したい! します!」
 こどもは返事をしたままの勢いで、通路のひとつに駆け出していく。すぐ迷うというのに、それも忘れているようだ。走るなとオズが言ったのが聞こえたかは定かではないが、やはりすぐに道を見失ったのだろう、まもなくオズを呼ぶ声が耳に届いた。

 それからオズたちはいくつかのアトラクションに並んだ後、もう一度ジェットコースターに乗り、パレードを観て、観覧車に乗った。
 はしゃぎ疲れたアーサーは、オズの背中におぶられている。肩に回された手は脱力しており、支えとしての役割をほとんど持たない。ゆっくりと歩くオズの後ろを、が歩調を合わせて歩いている。
 閉園を告げるアナウンス。夜を打ち消すほど眩かった電飾も、徐々にトーンを落としてゆく。
「オズさま……」
 とうに眠ったものだと思っていたこどもの声で名を呼ばれる。返事をして、しかししばらく待っても、それに対する反応はない。やはり寝言かと思えば、眠たげにくぐもった声で続きが紡がれた。
「アーサーは……、今日のこと、ずっとずっと忘れません……」
 オズが言葉を返す前に、今度こそあどけない寝息が聞こえる。
 の気配が近づいて、アーサーの髪を梳いた。楽しかったね、と囁いたのはアーサーに向けたものか、オズに向けたものか。
 古いアルバムを解くような、愛しげで、密やかな声だった。



 かつてを遊園地に連れた者の名を、オズは知っていた。
 オズが殺した。



23.08.27