心臓が焦げるにおいがする

 ぜんぜん、そんなつもりなかった。これは私の口癖。だってそんなつもりなかったんだから、許されてしかるべきだ。思考の悪癖。ていうか、社会が悪い。私を許容しないやつらが悪いし、そんなやつらを育てた社会が悪い。荼毘の口癖を真似て、考える。あの子からしたら私も悪いらしいけれど、それはそれとしてとっても分かりやすくて受け入れやすい理屈だなと思う。さすがに息が切れて、ビルを飛び降りる。ごちゃごちゃ考えている時点で明らかだが、私は相当なビビりである。別に逃げなくても見つかりやしないのに、というのは今までも人を殺してバレたことがないからなのだけど、なんとなく現場から一刻も早く離れたくて走り出して、そのうち本当に誰かに追われている気がしてきて止まれなくなるのだ。荼毘に言わせれば「アホ」で「馬鹿」で「救いようがねえ」、トガちゃんなんかいっつもかわいいって言ってくれるのに、ひどい。死柄木もそのへん呆れているみたいで、たまに私がアジトに駆け込むと嘲笑が降ってくる。どうかと思う。人の正義を笑うな。ぜんぜん、殺すつもりなんてなかったんだけど。
 数分壁と同化していると呼吸が落ち着いてきて、注意深く耳を澄ませて追われていないことを確認してから、私は体を元に戻す。反動でよろけながら息を吐き、路地裏を抜けると、突然ごおと音がした。
「ぎゃあ!!」
「ん……」
 火である。歩く火炎放射器である。炎が収まってから焦げ臭さを感じ、口元を押さえる。火炎放射器は私を認識し、肩を竦めた。
「何してんだ、テメェ」
「え、謝ってよ」
「気持ち悪ィ……」
「え?! 急に燃やそうとしといて何?!」
「チッ、うるせえな。近所迷惑だろ」
「うちの近所じゃないし……あっもしかして追われてるとか? 私と一緒だね」
「テメェの妄想に付き合ってる暇はねえ」
 うちの組織に暇じゃない人なんていないのになあ、と思いつつ、すたすたと歩き出した彼の背を追う。謝りもせず。まあ、そんなつもりなかったんだろう。夜道でいきなり現れた私が悪い。ついでに近所迷惑だ。どこの近所なんだ一体。
「おい、テメェ」
「ん?」
「どこまでついてくる気だよ」
「どこまでも」
「殺すぞ」
「いいよ」
「気色悪ィ……」
「あ、アイス買ったげる。お茶もうないよね?」
「あるわけねえだろ」
「なんですぐ捨てんの!」
「チッ……うぜえ」
 反論を黙っていられない荼毘がかわいく思えて、つい私も言い返してしまう。弟を亡くした私にとって年下の生意気な男は愛すべき対象なのだ。家族への復讐心が強いこの子には口が裂けても言えないけれど。
 荼毘の家は住宅街の奥の方、踏切の向こう側、コンビニの隣の隣にある。似たようなアパートがいくつもある上に街灯もなく、一度行っただけではまず覚えられないだろう。社会的には死んでいるので、ドクターとかいう人に借りてもらっているみたいだ。私も頼もうとしてドクターの居場所を聞いたが、結局拠点があると動きにくくなるなと思ってやめた。生きやすい個性でよかった。
 アイス二つと二リットルの麦茶を手に荼毘の家へ。当然コンビニに置いていかれたので個性を使わざるをえない。
「よいしょ」
 部屋に出てみると荼毘は既に布団に横になっていた。電気もつけず、上着だけ脱いでスマホをいじっている。もちろんシャワーも浴びていないだろう。私に背を向けているのに、アイスを放れば見事にキャッチしてみせた。犬みたい。
 手を洗いながら、上半身をのっそり持ち上げる彼を観察する。パッケージを眺めることなく開けたので、食べたことがある上で、少なくとも嫌いではないのだろう。食べ物の好みに興味はないが、できれば嫌いなものは渡したくない。
「電気つけていい?」
 返事はない。彼はちらと私の手元を見るが、すぐにスマホに視線を戻し、アイスに口をつけた。ぱちん。無機質な白い光が部屋を照らす。
 だいたい、対話なんて必要なかった。私と話そうとする人がいなかったこともあるし、そもそも考えを理解することはそれほど難しくなかった。体積が自分よりも多い人間という制限つきだが、私は兄のように成長しなかったからそんなやついくらでもいた。
 一人分空けて座り、私もアイスの箱をぺりぺりと開ける。
「あ。見て、ハート入ってる」
 興味を示さないと分かっているので、見せることもない。ハート型のチョコアイスを口に放り、荼毘に目をやる。
「おいしい?」
「……別に」
 スイカを模した赤い氷が、彼の口で溶かされていく。チョコ味がすっかりスイカ味になる。荼毘はあまりおいしそうにものを食べない。でも、よほど嫌いなものでなければ残しもしない。ちゃんと、一口ずつ、全て飲み込んで血肉にする。だから私は、彼の食事風景を見逃したくない。一挙手一投足見逃したくないけれど、食事は特に。
 食べ終わった箱を捨て、ペットボトルの蓋を開ける。結露が垂れて太ももを濡らす。十分くらいしか経っていないのに、もう若干温くなっている。いや、アイスで口が冷えきったせいか。横から手が差し出されるので、ペットボトルを渡す。ついでにゴミ箱を近くに置いてやると、彼はアイスの棒と袋をそこに入れた。
 不意に、目が合う。二種類くらいしか変化がない彼の瞳。受け取ったペットボトルに手のひらを同化させる。黙ってそれを見ている、人。内側が冷えていく。蓋が覆われ、引っ張られる。
「あ」
 ぱっと、手が離れる。
「気持ちよかったのに」
「……気持ち悪ィんだよ。いちいち声出すな」
「治んなくて」
「だから無駄に追われんだろ」
「追われたことはないっぽいんだけどぉ」
 私が個性を使うところをあまり見たくないらしい。人体が飲み込まれるのは見ていて気持ちのいいものではないのだろう。でも、気になるのだ。不快な気持ちにさせたいわけじゃない。
「手貸して」
「キメェ。死ね」
「えー脳触っちゃうよ」
「きっ、しょくわりぃ……」
 荼毘は、自分の炎が効かない相手をどうしていいのか分からないようだった。目的の弊害にならない上、殺すのも苦労する人間は放置するに限る。それでこんなに不愉快そうな顔をするのだから、かわいらしい。燃やしてくれてもいいのになあ。もしかしたら、燃やされてあげられるかもしれないし。その前に家が全焼するだろうけど。
 布団の横に寝転がり、指先を彼のタンクトップに引っかける。私だって、自分の個性が分かった時はゾッとした。抜け出す瞬間が最も恐ろしい。無機物でも、有機物でも。
「ねえ荼毘」
 普段は大人しいこの子の、内側に潜む暴力的な熱。初めて同化したあの日から、私まで焦げていくみたいだ。
「あんたが死ぬ前にさ、一緒になりたいの」
「……個性使う度にビビってちゃ世話ねえな」
「怖いんだもん。あんま人殺したりしたくないし」
 視界の端を青が染める。荼毘が口元を歪め、手のひらに炎を纏っている。
 嬉しい? 私が初めて殺したのが、弟だから?
「そんなつもりなかった、か?」
「うん」
 炎に腕を突っ込んで、体を起こす。あつい。空気が冷たい、私はあなたの炎になる。右腕が全て炎と化し、気を抜いたら服まで燃えてしまいそうだ。意識が持っていかれるほどの怒りが、炎から伝わってくる。左手を彼の頬に伸ばす。彼は当然、避けなかった。じりじりと焦げていく皮膚に唇を寄せる。私が知っているのと同じだけ、あなたも私を知っている。つめたいくちびる。
 業火となる。この部屋に、夏を焦がす私たちの、罪がある。



22.07.22