ナンパじゃないけど
バイト先の近くに広い公園がある。休日の昼頃には子供の声で少し騒々しくも感じるその場所は、端にいくつかベンチが設置してあり、そこで昼食をとるのがバイト前の楽しみだった。ただ今日は前日酔いつぶれて帰ってきた彼の世話が面倒でここまで逃げてきたに過ぎない。……どうせ寝てるだけだし、私がやることもないだろう。
トマトの汁がパンに染みている。いつもよりマスタードが効きすぎているような気はするが、このくらいなら誤差の範囲内だ。週に三日ほどとはいえよく買いに行くので、サンドイッチ屋の店主は私を認識しているらしい。この間は新作の味見をさせられた。
さすがに平日の昼前は人が少ない。紙ナプキンをビニールに入れて立ち上がる。
「!」
声に振り向くと、こちらに歩いてくる男性がいた。
「ルキ」
「よう。今日勤務?」
「いや、暇つぶしに来ただけ。そっちは?」
「学校帰り」
バイト先の同僚である。入った時期が私と数か月しか違わず、同い年だということもあって仲良くなった。プライベートで会うのはこれが初めてだ。
「これから昼食とろうと思ってたんだけど、一緒にどう?」
「ごめん。今食べたとこ」
「じゃあカフェか。コーヒー好き?」
「え、ああ、うん」
構わない、けれど、行動力のある男だとは思う。まさか一緒に行くことが彼の中で決定事項になっているとは思わなかった。よかった、と笑って歩き出したルキに私はついていくしかない。いや、別に断ってもよかったな。
連れて行かれた店は、バイト先に向かう時にいつも通る場所にあった。何か特に惹かれる要因があるように見えなかったが、それは私があまり喫茶店に入らないせいだろう。今度暇なときは、こういうところに入ってみるのもいいかもしれない。
注文を済ませ、煙草を取り出すとルキが驚いた顔をして言った。
「煙草吸うんだ」
「あ、嫌いなら」
「ああいや、構わないけど。意外だった」
「そう?」
仕事中はもちろん吸わないし、休憩中に必ず吸いに行きたくなるほどのヘビースモーカーではない。まだあまり慣れていない職場だというのもあるだろうが。男の近くにあった灰皿が差し出され、会釈する。煙草を吸うように見えない、のか、男が適当なことを言ったのかは分からない。サンダルのかかとが椅子の足に当たる。
「よく考えたら初めてだな」
「二人? そうだね」
「家近いんだっけ?」
「うん、二駅」
「あのへん治安悪いんじゃね」
「意識したことないけど。ルキは?」
「俺は結構遠いんだ。学校がすぐそこなだけ」
「なるほど」
灰皿の縁に当てて灰を落とす。そこでブレンドが運ばれてきた。さすがにインスタントよりは香りがいい。ちゃんとしたのを飲むのは久しぶりな気がする。ルキの前にはアイスティー。
「コーヒー飲めないなら、ここにしなくてもよかったんじゃない?」
「え、でもは好きだろ?」
「……気障だね」
「女性には優しくしないと」
なんだか懐かしい人種だ。専門時代は馬鹿みたいにいっぱいいたのに、今までどこに隠れていたのだろう。面倒とまでは思わないが、どうしたらいいのか分からない。煙を取り込むと意識を男からそらすことができる。あいつそろそろ起きたかな。腕時計を見るともう十二時だ。
「何かあるのか?」
「え?」
「時間気にしてるから」
「もう昼だなと思って。別に急いでるとかじゃないよ」
「って仕事以外でも真面目なんだな」
「……なんで?」
「なんとなく。彼氏?」
「ちょっと、ごめん。全く文脈が繋がってないよね」
「はは! そういうとこだって。彼氏いるんだ」
意味が分からない。今の会話からそう繋がる部分があっただろうか。しかしこう考えるのもルキからすれば真面目ということになるのだろうし、何も言えない。
「どんな男?」
「……いるって言ってないよね」
「否定しなかったし」
「否定しないと彼氏がいることになるの?」
「まあまあ。で?」
「そんなべらべら話すことでもないから……」
「あっはは、なるほどな。でも、彼氏嫉妬しないの?」
「嫉妬?」
「俺なら彼女が知らない男とご飯って、ちょっと妬けるけど」
「ルキってめんどくさいんだね」
「え、マジ? 男ってそういうもんじゃない?」
「まあ、確かに」
「あ、嫉妬するんだ」
「嫉妬というか」
心配ならいつもしているような気がするけれど、嫉妬はするのだろうか。された覚えはないがそもそもそれはされるようなことをしていないせいか。そもそも、女性に優しくというモットーを持つ人間が他の男から彼女が優しくされただけで嫉妬するのはめんどくさいでしかないだろう。ルキがまた声を上げて笑った。よく笑う男だ。
「今度話してみなよ、今日のこと」
「ルキってめんどくさいんだね」
「あっはっは!」
笑いのつぼが分からない。
その後ルキアノスは自分の彼女(クレッサと言う名の、料理が壊滅的にできない子らしい。聞いていない)について満足のいくまで話していた。楽しそうで何よりだ。それに正直、こちらのことを根掘り葉掘り聞かれるのは得意ではないのでありがたい。
「またな」
「うん。今日ありがとう」
「いえいえ」
午後二時。服でも見ようかと思っていたけれど、なんだか人に会ったせいで疲れてしまった。さすがに起きているだろう。二度寝してるかもしれないけど。ご飯ぐらい買って帰ってあげようか。でも昨日の残り物があるな。結局私の足は駅へと向かう。
嫉妬か。もしかしてノブナガが来たと知った時の反応にはそれも含まれていたのだろうか。でも、嫉妬が心配を超えた場合にあの人がどうなるのか想像がつかない。十中八九怒るだろうけど。私が嫉妬したことがないからそもそもよく分からない。
家に着くとベッドの上の巨体がのっそりと体を起こした。
「あったまいてえ……」
「おはよう」
二日酔いの薬を飲んだ形跡がある。一度目が覚めてこれを飲み、すぐまた寝たのだろう。それならじきに頭痛も治まるはずだ。リュックを壁にかけると彼はなんだ、と呟いた。
「出かけてたのか」
「うん」
「起こせよ」
「寝てたじゃん。二日酔い」
「怒ってんのかよ」
伸ばされた手が服の裾を掴む。子供か。この男は寝起きに結構な頻度で幼児退行する。困ったものだ。別にいいけど。
「怒ってないよ。煙草吸わせて」
「俺も吸う」
「じゃ立って」
「だりい」
「とりあえず離して」
「なんか冷たくねえ?」
「掴んでることによって何を訴えてるわけ?」
「こっち来いよ」
「だから煙草吸うってば」
「後でいいだろ」
「まだ酔っ払ってんじゃないの」
「そうかもな」
大きくため息を吐く。仕方なくベッドに腰を下ろすと煙草をとられた。勝手に飲んで勝手に潰れて勝手に寝ていた癖に、何が怒ってんのかよだ。怒ってない。いらいらしているだけだ。それでも手を拒むことができない。大人しく誘導されて彼の足の間に抱きしめられる。私だって勝手に怒って勝手に出かけて、勝手に精神を摩耗してきたのだ。
「酒臭い」
「あーわりい」
「いいよ」
「怒り終わったのか」
「うん」
認めれば子供にするように頭を撫でられる。足に寄りかかっていた体を起こし男の胴体に腕を回す。
「ねえ」
「あ?」
「男とご飯食べてきた」
「……ああ? どこのどいつだ」
「バイト先の人」
「なんで飯行ったんだよ」
「たまたま公園で会った」
「……だから起こせっつってんだ」
「それって嫉妬なの? 心配?」
「はあ?」
「フィンクスって嫉妬するの?」
「てめえが俺以外好きになるとは思ってねえよ」
「……嫉妬しないってこと?」
「それとこれとは話がちげえ」
どいつもこいつも文脈を無視しすぎだ。今のは私も悪かった気がするけれど。男が指を鳴らす音がして、頭を持ち上げる。至近距離で目が合うとそのまま後頭部を押さえられた。そのまま触れる酒臭い唇。以前より幾分慣れたものの、相変わらず一度上がった熱はなかなか引いてくれない。
「嫌なもんは嫌だろ」
「男といるの?」
「別にそっからどうこうとかはねえだろうけどな。これが嫉妬っつーなら俺は嫉妬する」
「なるほど」
「なんだ急に」
「彼氏嫉妬しないの? って言われたから」
「するから手出すなっつっとけ」
「……言わないけど理解した」
「お前が分かってりゃいい」
男ってそういうもんじゃないの、というルキの声を思い出す。なるほど、じゃああの人の信念と感情も矛盾しないわけだ。うなじのあたりに置かれたままだった手を掴み、背中に回させる。
「なんだ」
よくそんな嬉しそうな声を出せるものだ。髪が彼の手によってぐしゃぐしゃにされる。まだ酔っ払ってるのだ、きっと。