見透かされた不協和音
頭に残っているあの日あの時は雨ではなかったのに、どうして雨が降ると思い出してしまうのだろう。雨というのは私を感傷にひたらせ、いらないことに思考を割かせるから嫌いだ。それがどういう仕組みなのかは分からない。単純に煙草を吸うために外に出ることができないというのも腹立たしい。いつもはわざわざ出るのが嫌だと思っているのに。
毎度雨が降ると彼が来るのを期待する。したって無駄な期待をして、それが裏切られるのが習慣化している。もちろん期待を裏切られるというのは苦しみを伴う現象ではあるが、今では裏切られるところまで含めて期待なので、微塵も安心がないとは言い切れない。そんな自傷行為を少しだけいかれていると思うことがある。たぶん一度雨の日に彼を待ち本当に来てしまったら次からもっと確実な期待を抱くだろう、その時の裏切りが怖いから、今の裏切りで安心する。
天気予報では明日の朝には止むと言っていた。煙草を揉み消す必要がないことしかいいことがない。窓際に思ったより長い間しゃがみこんでいたらしく痺れた足を振りながら着替えるべくクローゼットに向かう。
家具はほぼ自分で選んでいないが、服はアクセサリーと同じく学生時代に買ったものだ。少ないレパートリーから着回している。バイトに行くためにそこまで意識しなくてもいいよなという思いと、生活の八割くらいアルバイトなのにそこで意識しないでどこで意識するのだろうという思いがある。
翌朝は、本当に晴れていた。濡れてすぐ閉じたせいで湿ったままのビニール傘を持って家路につく。あんなに降っていたのに今でははっきりとした青。気まぐれなものだ。あなたの涙でどれだけこちらが振り回されると思っているのだろう。水たまりは傘でつつくと波紋を広げる。うつむいて水たまりを踏まないように歩いていたら、人の気配を感じて顔を上げる。
「……」
「幽霊でも見るような顔しやがって」
「……朝だから、なんでいるのかなって」
「たまたまだ、たまたま」
意味はないのに何故か振り返ったりしてしまった。何度確認してもちゃんとフィンクスだ。水で濡れた傘の先端で靴をつつこうとすると避けられた。
「雨だったろ」
「え? うん」
「仕事だったんだよ、こっから……そうだな、一時間もないぐらいのとこで」
「あの雨で、大変だね」
「だから来た」
「……だからっていうのは、このへんに来たついでに寄ったってこと?」
「そういうこった」
雨だっただろうという一言からは繋がらない気がするし、ここから一時間ってそんなに近くはない。何かしらはぐらかされたのだろうと思いつつも黙っておく。こいつのことだから今の流れがおかしいことにも気づいていないのかもしれない。さすがに馬鹿にしすぎか。けど、きっとたまたまということにしておいた方がお互いに都合がいい。
誰かと歩く帰り道はなんだか変な気分になる。一人ではないと言い聞かせる必要がないのは嬉しい。でも……。
「」
「なに?」
「今日も夜仕事あんのか?」
「あるよ」
「ならお前が帰ってくるまでいてやる」
「……えっ? でも帰ってくるの明日のこの時間だよ」
「分かってる、んなことは」
「どうしたの急に。なんかあった?」
「うるせえ。暇なんだよ」
「うちにいても何もすることないと思うけど……」
「いいだろ」
「……いいんだけどね?」
本当にどうしたって言うんだろう。どうしても明日私が帰ってくるまでいたいのだろうか。自分から言い出したから引けなくなったとか? まずどうしてあそこにいたいのかが分からない。
たまにこの男は普通の家を知らないのではないかと思うことがある。何かしらを言われたからだと思うのだが、そのセリフ自体は忘れてしまった。でも言動が少し一般人とはずれている。私は構わないけれど彼が当たり前のように言うことがどことなく意味の分からないことだった場合に、どうしたらいいのか困る。やっぱり彼はただの不良なお兄さんではないのだ、とその度思う。
水たまりには、ところどころ太陽が反射して揺れている。