百万回死んだあたし
私は泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。久しぶりに会えたと思ったらどこかに行ってしまった自分の師匠と兄弟子二人が、その壮絶な戦いを終えて帰ってきたっていうのに私はそれしかできなかった。でもそんな私を責める人たちじゃなかった。だから私は、泣き止むフリもできなかった。泣くなよお、と困ったように言った兄弟子は今、隣でコーラを飲んでいる。
「んだよコラ。おい」
「聞く覚悟できてんだろうな」
「てめえいっつも聞いてやってんだろうが!」
「聞け! 今先生の病室には奥さんがいる」
「……そりゃいるだろーよ、あの人は」
「分かるだろうが。私の言いたいことが」
「あー……飲むか?」
「昨日も飲んだわ!」
気まずそうな顔でペットボトルのふたを閉めるナックルを睨みつける。いつものことだ。いつもこの愚痴に付き合ってくれるのは兄弟子二人。もう片方は未だちゃんと話すことすらできていない。思い出して少し暗い気分になる。ぱっと顔を上げるとナックルと目が合い、ガンを飛ばされた。
「てめえもよお……諦め悪いよなあ」
「諦めるも何もないよ」
「死ぬっつってたのが懐かしいぜ」
「死ねたらよかったのに」
「つーかなんだその、なんで本人に言わねえんだ? 言っちまえばいいのによお」
「言ってるよ。言ってるでしょ。本気にしてくれないんだよ」
「めんどくせえ! 俺が言ってきてや」
「おい! ちょっと」
「んだよ! てめえがうじうじしてんのがわりいんだろ?!」
「うじうじしてねえ! それに兄貴が言ったところで何にもならないんだ、何度も言ったでしょ?」
「……」
「……だから死ぬって言ったのに」
先生。私はずっと先生のことが好きだった。でも……奥さんはきっともっと昔から、あるいは熱烈に、あるいは重厚に、もしかしたらその全てであの人を愛していたのだろう。だから先生は彼女と結婚し、今でも愛し合っている。見れば分かる。私に入る隙などない。
もちろん生徒としてはめちゃくちゃにかわいがってもらった。だからこそ今の私はハンター協会で働けているわけだし、世界を救ったとも言える隣の男にため口をきくこともできるのだ。でもそうじゃない。そうじゃないということを先生も分かっていて、私は一度ちゃんとフラれている。あんな人が、本気にしてくれないわけがなかった。
「おいおいてめー、また……泣くなっつってんだろ!」
「……あたしこんな時に隣にいたかったのに……支えたかったのに……」
「こんっの泣き虫野郎! ったくよお!」
「どこ行くの兄貴!」
「っせ待ってろアホ!」
どうせならあの男のことを好きになりたかった。たぶん飲み物でも買いにいってくれたのだろう、白い背中を見送る。じわり。私は正しく泣き虫野郎だ。いや野郎じゃない。女扱いぐらいできなきゃ駄目でしょうが。
ふっと風が吹いて、顔を上げる。雲がところどころに浮かぶ空。生きてらんないよお、と叫んだのを思い出す。そうだ、私はそう言って先生を困らせた。だって結婚するなんて思わなかった。あれからもう何年も経っている。何を今さらと思うが、私は今まで奥さんをちゃんと見たことがなかったのだ。……写真よりも綺麗な人だったな。
「おう泣き虫」
「……えっ?! せっ、な、あ、……兄貴?! は!」
「よくテンパるなあ、お前は。ナックルならどっか行ったぞ。すごい形相で病室来たかと思えば、お前と話せってな」
「あの野郎……」
松葉杖をつきながら外に出てきた先生は、兄貴がいたところに座る。まさかそんなに直球な行動をとるとは、と思うが、あの男はいつでも真っ直ぐなのだと思い出す。
「で、今度はなんだ?」
「いいんですか? 奥さん来てましたよね」
「お前の兄貴は怖いからなあ。あれはもう帰ったぞ」
「そうですか……」
「というかお前いつ来たんだ? 声ぐらいかけろよ」
「お邪魔したらあれかなって」
「あーそうか、あいつと会ったことなかったか」
「先生」
「ん?」
これ以上愛している人間の話をしてほしくなくて、先生の言葉を遮るようにして呼ぶ。先生、これは呪いです。綺麗なあの人にはかけられない呪い。
「変わらねえなあ、泣き虫よ」
何も言い出せずにいると、大きな手が私の髪をぐちゃぐちゃにする。変われない。あなたの中の私はいつまで経っても、小さな弟子なのだ。たぶんこれから先、一生。ついでに言えば私は今泣いていない。頭がぐわんと揺れ、最後にぽんと手が乗った。見上げれば微笑む先生の顔。
「あたしが、生きてらんないって言った時のこと、覚えてますか?」
「そりゃ、忘れねえよ。俺が結婚した時だろ?」
「ひどい。覚えてるのに優しくしないでよ」
「威勢がいいな、全く。そんな顔されて突き放せると思うか?」
「思わない」
「おー、そうだろうな」
なんで本気にしてくれないの、と言えたらよかった。何回も聞いたことだ。あの頃私はどうしようもなく子供だった。困らせることを分かっていて、でも許してくれるとも分かっていたから、そんな馬鹿なことを言った。先生は優しすぎる。諦めていないんじゃないのだ。ただ、好きは終わらないというだけ。
私はようやく涙をふいた。先生の手が離れて、ぼさぼさになった髪を手櫛で直す。そうして息を吐き出して先生を見る。
「私兄貴を探してきます。飯食う約束してるの」
「ああ。また来いよ」
「ばか」
「ありがとな、」
「……早く治してくださいね」
先生に背を向けて院内に入る。目が熱い。入ってすぐのところで落ち着かなさげにうろうろしている男がいて、笑ってしまった。あーあ、ほんとに、もう。