熱も上澄みも統べられていたい
床で寝るのは汚いなとは思っていた。とにかく暑くてべたつく体をどうにかしたかったのだけれど、圧倒的に足りていない睡眠が頭を支配していて、だから男が声を上げるまで私はちゃんと起きることができなかった。
「てめえそんなとこで寝てんじゃねえよ、おい」
びびったわ、と付け足される。びびった顔は見たかった。どうやら私はベッドのすぐ下で寝ていたらしい。背中を蹴られたので仕方なく起き上がり、大きく欠伸をする。
「あっちーな、クーラーぐらいつけろよ。死ぬぞお前」
リモコンの音が何度か鳴って、たぶん普段よりも低い温度に設定したのだろうと思う。大体私はどうして冷房もつけずにこの炎天下の中爆睡していたのか。今朝の酔っ払いに問い質したい。
フィンクスは我が物顔で私の買ってきたビールを飲んでいる。こんな昼間からよく飲むなあと他人事のように考えながら、私も近くにあった缶に口をつけた。いつから飲んでいたのかもいつまで飲んでいたのかも覚えていないが、この男が私を抱かなかったことは確かだ。ガンガンと鈍い痛みが主張する頭を押さえ、立ち上がる。眩暈。あー、立ちくらみがひどい。目を閉じたまま風呂場に向かっていると壁に激突した。
関係性を言葉にする必要は全くないのだけれど、他の人から見たら私たちは恋人同士なのだと思う。でも友達と恋人の境目が私には分からない。キスとかセックスとかをしなければ恋人になれないのであれば、私たちは恋人ではないが、まあそもそも、私たちがどういう関係だかを気にする人間はこの世に一人も存在しない。私はあいつといるのが心地いいし、あいつも拒むことはない、というだけで構わなかった。
シャワーを浴びてリビングに戻ると男はソファーに寝転がってテレビを見ていた。
「あのさーフィンクス」
「ああ?」
「昨日のこと覚えてる?」
「お前がテレビつけたのは覚えてる」
「いつだよそれ……」
「つーかなんで飲みに来たんだ?」
「あんたに会いに来たって言ったじゃん」
「あーそういやそんなこと言ってたっけか」
構わないと言うと語弊がある。構わないということにした、と言おうか。私はこいつが普段何をしているのか知らないが、話を聞く限り女を頻繁に抱いているし、その癖人を好きになった風ではない。つまりこいつにとって女とはそういうものであり、そこに入ることすらできない私は全てを諦めるよりほかなかったのだ。会いに来たって言ってもこの反応だ。忘れないでほしかったなあ。
髪を乾かして悲惨な部屋を眺める。空き缶を集めるのが先か。クーラーが効いて寒いくらいの部屋で、男は悠々と酒を飲んでいる。あれだけ飲んで、潰れて、よく飲む気になるものだ。
「あんた他の女の子とでもそうなの?」
「はあ?」
「デリカシーがないっていうかさあ。抱くだけ抱いてぽいみたいな感じ」
「お前は抱いてねえだろ」
「だから他の女の子にだって」
「ぽいも何も、拾ってねえよ」
「あんたのこと好きで抱かれてる子もいるかもしれないのに」
「そんなん知るか。大体、俺を好きでついてくんのなんてお前ぐらいのもんだぞ」
「……はあ?!」
「うるせーな! 急に叫ぶんじゃねえよ」
ええ、なにそれ。こいつが人の気持ちを察することができる男だとは知らなかった。それに、私が好きだと知っていて今まで一緒にいたのだとしたら、それはもう本当に微塵も興味がないということだ。空き缶の入ったゴミ袋を床に置くと、缶同士がぶつかる音がしてうるさい。フィンクスが私を見て、怪訝そうな顔をする。
「なんだその顔」
「なんでもない」
「なんでもないってことはねえだろ」
「うるせえ」
「んだあ? 心配してやってんだろうが」
「デリカシーゼロ」
「そりゃてめえだボケ」
「はあ?」
「好きだなんだ言っといて抱けねえし」
「は?! 何言ってんだ?!」
「おめーが泣きわめくからこっちは」
「何の話?!」
「そのポーズ腹立つからやめろ!」
ギャーギャー言い合っているうちに話がかみ合わなくなってきた。好きだなんだ言っといて抱けねえ? おめーが泣きわめくから? それではまるで、私が泣いてフィンクスを拒んだから今まで抱かれなかったみたいじゃないか。フィンクスが呆れたようにため息を吐き、ビールを飲み干した。
「好きとかは知らねえよ、俺は」
その缶を私が置いたゴミ袋に投げ入れる。乾いた金属音がしたが、私は男から目を逸らせなかった。
「お前マジで覚えてねえの?」
「えーと、ごめん。いつの話?」
「こないだお前がここ来た時だ」
「ちょっと確認したいんだけど、私あんたに告白でもした?」
「それも覚えてねえのかよ!」
「ええ! ごめん! じゃセックス拒んだのは?」
「俺がお前を好きじゃねえから嫌だっつってたぞ」
「まあそりゃそうだよね」
「意味わかんねえ」
「でも、フィンクスって女が泣いてたら抱かないんだね。強姦魔じゃなくて安心した」
「命乞いでもするみてえに泣くから萎えた」
「うーん、なんかごめん」
「女ってわけわかんねえな」
告白をしたというのがまず衝撃的だが、その後こいつが私を抱こうとしたというのも驚きだ。そういう風に見れないのだとばかり思っていた。穴があれば誰でもいいのかこの男。
考えているとフィンクスが立ち上がるので、思わず後ずさる。彼はその私には目もくれず台所に行き、コップを手に取った。そこに水道水を注ぎ始めてなんとなく安心する。
「ねえ」
「あ?」
「私のことも抱いたら捨てるの?」
「アホ」
「は?」
「そのつもりだったら泣こうがなんだろうがとっくに抱いてるだろ」
「あんたマジで女をなんだと思ってんの……」
「さあな」
喜んでいいのだろうか。いけない気がする。いや、捨てるつもりだったら抱いているということは、そのつもりではないということだ。捨てるも何も拾ってない? なら、私のことは所有物程度には思っているのだろうか。やつは水を二杯飲み、シンクにコップを置いた。好きとかは知らないって、なんだ。好きは好きだろうが。
「私のこと好きなの?」
「知らねえっつーの」
「一緒にいたら楽しい?」
「あー、まあ」
「抱ける?」
「女だからな」
「キスする?」
「は? 今?」
「私あんたのこと好き」
「お前馬鹿だろ?」
「うるさいわ。あんたも馬鹿でしょ」
「じゃこっち来いよ」
「なんでよ」
「キスすんじゃねえのかよ」
「軽すぎでしょ! なにそれ!」
「めんっどくせえなあ、どうすりゃいいんだよ」
「わかんないってば」
「お前馬鹿だろ」
「私のこと好き?」
「んだよしつけえな。わかんねえもんはわかんねえよ」
「死ねとか思わない?」
「思ってたら殺してる」
「好きってことにしていい?」
「勝手にしろよ」
「じゃキスしてみる?」
「だからさっさとこっち来いっつってんだろ」
ジャージのポケットに手を突っ込んだまま男は欠伸をした。私に興味がないということは理解したが、それでも、これは他の人への対応より随分マシなのかもしれないという希望が私を動かした。恐る恐る近づくが男はめんどくさそうにこちらを見るだけだ。どうしろって言うんだろう。汗臭いタンクトップに手を伸ばして引っ張ってみてもびくともしない。仕方なくもう一歩近づくと突然顎を掴まれる。顎は痛くないが、身長差のせいで首が痛い。思った以上に私は浮かれている。男の指が頬を揉むので文句を言おうとしたところを、塞がれる。キスっていうか、口づけでもなくて、これは捕食だ。頭なんてずっと痛い。いきがくるしい。遠慮なく入ってくる舌をどうすることもできず、やつの服の裾を握りしめる。なんで私は今ずっと好きだった男とキスしているのだろう。どうにかなってしまう。ただただ頭がパンクしそうなほど、どうしようもない熱が湧いてくる。ようやく離れてくれたので息を整えながら、唾液を拭った。寝不足のせいだ。二日酔いも。とにかく、頭が割れるように痛む。男が私の顔から手を離し、腰を引き寄せてきた。
「ねみーから後は寝てからな」
「う、うわあ」
「んだよ」
「私フィンクスに抱かれるんだなって……」
「ちょっとは楽しませろよな」
「無茶言うな」
眠そうな顔のまま男は笑い、私の体を解放した。そんな楽しそうに笑われてしまったら、どうすることもできないじゃないか。ぐちゃぐちゃのタオルを端に避け、やつはベッドに横たわる。未だに信じられなかった。これから目が覚めるのかもしれないとさえ。男の隣に寝転がって、冷房の温度を上げるためリモコンに手を伸ばす。
「あっつ」
温度を上げ、リモコンを元あった場所に戻したところで、抱き寄せられる。暑いなら離れていればいいのにと思う。言わないけれど。男の腕に頭を預け、私は目を閉じた。
title by alkalism/170611
リク:フィンクス、少しだけ甘いお話