ムーンエイド・フロート

 クラピカに人殺しなんてできるはずがなかったのだ。分かっていた。だから彼の状態を見てもあまり驚かなかった。でもそれとこの悔しさは別だ。どんどん崩れていくクラピカを私は黙って見ていることしかできなかった。今は時々暴れる彼を抱きしめ、ただ空を見つめている時は名前を呼んで、レオリオやセンリツはそんな私を献身的だと言ったけれど、そうじゃない。何もできないからそうしなければならなかったのだ。気軽に触れることのできなかった彼を今こうして抱きしめている、これはきっと自己満足でしかないというのに。
 復讐をすると言っていた彼は、確かに強い意志を持ったしっかりした人間に見えた。でも復讐という目的をなくしたら生きていけないのではないか、それを果たした時どうなるのだろうと思うような危うさがあった。覚悟、していたはずだ。いくら一族を皆殺しにした相手とはいえ、人体であることに変わりはない。つまり復讐の成就はクラピカ自身が人殺しになるのと同義。繊細で真面目な彼がそんなことに耐えられるとは思えなかった。団員の一人を殺したと言う声は少しだけ、でも確実に震えていた。

 私に何ができたって言うのだろう。ぐったりした顔で眠りにつく彼から目をそらす。窓から月の光が射し、足元を一筋白く染めている。この人に嫌われてでも止めるべきだった? これしか縋るものがなかったのに? そんなことはできない。相手を殺すのは彼自身でなければならなかったのだ。

……?」
「クラピカ!」

 彼の声で我に返り、体を起こそうとする背に手を添える。何度か瞬きをしてから私に焦点を定め、もう一度私の名前をこぼした。

「私はまた眠っていたのか」
「……うん」
「君は」
「寝たよ、さっき」
「……やめてくれ」
「……」
「何故寝ない?」
「いつ起きるか分からないから」
「だからと言って、君の方が体を壊したら」
「クラピカが大変な時に寝れるわけない……」
「……

 苦しげに顔を歪め、彼は私から目を背けた。こんなことを言ったら気に病むと分かっていたのに、つい感情的になってしまった。漏れそうになる息をどうにか留めて呼吸に変える。沈黙が怖い。近くに置いておいたコップに水を注ぎ彼に手渡す。それに感謝の言葉を述べ、彼はゆっくりと二口ほど体内に入れた。

「いつも、血の海から救い出してくれるのは君だ」

 コップを見つめたまま呟かれた言葉に、思わず彼を伺う。低いトーンで話す彼は表情に変化がなく、正気のままであると分かる。続きを紡ぐ前に再び目が合い、覗くような視線に少しだけ鼓動が大きくなる。瞳。今は黒いその光に安心して、でも脆さも見えて悲しくなる。口を開くと同時に彼の視線は月へと向かう。

「夢を見る。この手で殺したやつがいる。私の足元は段々血液で満たされていく。……そのうち全身を包まれ、息が止まる苦しみにもがく。しかし君が、伸ばした手をつかんで名前を呼んでくれるから、抜け出せる」

 確かに彼はよく悪夢や幻覚にうなされ、その度に伸ばした手を握るのは私だ。泣きそうになった。どれだけ苦しめばいいのだろう。悪夢のように私が彼の苦しみを全て奪ってしまえたらいいのに。

「感謝しているんだ、
「……クラピカ……」
「……こんな汚れた手を握らせてしまってすまない。もう次は」
「何言ってんのよ、馬鹿」
「お、おい」
「私にはこれくらいしかできないんだから仕事とらないでよ」
「君の方こそ何を。君がほとんどずっとつきっきりになってくれていると、センリツから聞いたぞ」

 掴んでいた彼の手に力がこめられ、ちゃんと握られてしまう。センリツがそんなことを。……確かに、逆の立場だったら伝えているかもしれない。寝起きのせいか高い体温が私を温めていく。じわりと心まで届きそうなその熱に私はたまらず声を出す。

「悔しくて」
「悔しい?」
「クラピカが人を殺して苦しまないわけないって思ってた。でも復讐なんだから私が止めるのはおかしい。……見てることしかできなかったことの罪滅ぼしみたいなもんなの」
「……」
「だから、私はこれからもあなたが暴れれば抱きしめるし、手を伸ばせばつかむし、悪夢から引っ張り上げてあげる」
「すま」
「謝んないで」
「……ありがとう」
「どういたしまして」

 ようやく彼が口元を綻ばせる。瞳には月の明かりが映りこみ、黒を照らしている。困惑、悲哀、罪悪感、瞬きを挟んで、安堵。彼がおもむろに、繋いでいた私の手を持ち上げる。そのまま指先に唇で触れるので、また心が熱に浸り溶けていく。



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