メシアなぞいない

 ポケットの中の丸い金属を触る。
 私が両親にとってつまらない傀儡だったということくらい分かっている。ただ、仕事さえできれば見捨てられることはなかったし、弟たちの方が寧ろ異常なのだ。と、私は思う。

「君までこっちに来ていいのかい?」
「私は好きに行動させてもらうし」
「姉さんはいつでも暇だからね」

 実の弟は私よりも遙かに強く、そしてその弟が殺そうとしている弟たちはそれを凌ぐのではないかと言われるほどの化物だ。要するにこちらの方が不利であろうという体で呼び出しに応じたわけだが、弟の友人であるところの不気味な男を見て、これでは言い訳も意味がない、と過去に思いを馳せるのであった。会話のかみ合わない弟のために心の中で訂正しておくと、姉さんだって暇ではない。


 家を出て久しい。と言っても家出ではなく、後継者の目途もついているであろう、私の力は実家を出た方が役に立ちそうだ、という推測を父親に話した結果だ。おかげで生家の威厳という名のおこぼれをもらって食っている。
 私には金も住む場所も仕事もあるが、それだけのことだ。他には何もない。男も、友人も、酒も、煙草も(入浴剤はある)。家を出ることで何か変わったことがあるかと考えてみれば、他人の気配がないことだろうか。あそこはどこもかしこも人がいて、しかしその実誰もいないかのような雰囲気に包まれていた。
 郷愁は呪いである。再び金属に触れ、ポケットから手を出した。


 弟の能面と、弟の友人の笑み。思考を一度断って向こうを見る。私には私の望みがあり、それを通すために最大限の努力をするまで。

「ヒソカは、周りの執事を排除しつつ、隙あらばアルカをキルアから引き離してくれればいいよ。姉さんは分かってるよね」

 家族さえ殺さなければいい話なのだから。


 とにかく私は生家の中で言えば弱い方で、末の弟と比べれば能力的には強いかもしれないという程度。長男であるイルミに敵うはずはなく、初見の感覚ではあるがヒソカという男にも敵と認められるか否かぎりぎりのところだろう。つまり、今回のインナーミッションで私の望みが叶う可能性は限りなく低い。それであれば負けそうな方に賭けてみるのもいいな。
 イルミには私がここにいる理由など分かっていないだろう。希望的観測だ。ただそもそもの話、私の心の内を知っている人間が存在しているとは考えにくい。目の前をトランプのカードが通る。

「久しぶりだねえ」

 私にこの男との記憶はない。たぶん忘れてしまっただけなのだろう。そして忘れたとしたらそれなりの年月会っていなかったことになる。

「君、イルミと仲良かったっけ? 僕の記憶違いかな。前に会った時の君はまだ家にいて、少なくとも家族との仲は悪かったはずだけど」
「あっちは任せた」
「はいはい」

 適当に分かれた方が弟としても私としても効率がよいだろうと踏んで、ヒソカと反対の道へ行く。
 人気のない森。しばらくして、足を止める。声が聞こえた時にはその白は風と共に通り過ぎてしまっていた。なるほど、あれがキルアの。それを見送った後ヒソカの行った方向から気配が近づいてくるのを感じ、姿を隠す。森なら私の独壇場だ。間違えないようにそちらへ歩いていく。
 守るという行為を教わった覚えはない。今までにそのような仕事を請け負ったことは何度かあるが、その程度の知識だ。だから具体的にどのような行動なのかは分からない。コインを弾く音がする。

 手の中で古びたコインを弄ぶ。私がこれを返すのは死ぬ時だから。幼さ故の戯言だ。そして、その時は確実に近づいてきている。

 ヒソカがこちらを見た。奴の背後の木から葉が槍のように降り注ぐ。オーラの貼りついた木を地面に切り落とすと楽しげに喉を鳴らし、体中に刺さった葉を払う。

「なるほど」

 ヒソカと対峙していた、その男は、奴の視線を追ってようやく私の存在に気づいたらしかった。その目が驚きに見開かれる。ヒソカから目を離さずに、男を庇うように前に立つ。

「君の望みはこれか」
「お友達の邪魔ばかりして、悪いね」
「やっぱり君、イルミのこと嫌いだろう」
「特に何とも思わない。目的が違うだけ」
「僕はそこにいる彼を殺したいんだけどなあ」
「だろうね。じゃあ、頑張って」

 執事の手を掴み、有無を言わせずその場から離脱する。森の中に敵がいる限り撒くことはできるだろう。あれを殺すのはたぶん無理だ。それならばいかに長く逃げられるか。この男はキルアを追いたいはずだ。キルアはアルカを連れて……アルカの能力で仲間を助けたいらしいから……飛行船。

「お嬢様!」
「なに?」
「何故このようなことを」
「家を出た人間が参加してたらおかしい?」
「いえ……しかし、イルミ様と行動を共にされていたはずです」
「最初からこれが目的だったから」
「と仰いますと」
「あんたを生かすこと」

 男がようやく黙ったので、手を離す。あれの気配はどんどん遠ざかっている。着地したついでに再び男の手を取り、近くの木に手をつく。幸い、街の方まで木にしろ土にしろ存在しているから、行けるだろう。イルミより早く。なんとかなる。能力をフルに使えばキルアほどではないがスピードは出るし、ツボネが見つかれば使える。
 走って、走って、どうにか敵を撒き、公道を行く。土を使い、前方に見えるカナリアらしき後ろ姿を目指す。さすがのキルアもあの状態のツボネよりは遅いか。と思ったところでキルアが道から飛び出して、ツボネたちも止まった。

「ツボネ!」
「おやおや、随分懐かしい顔だねえ」
「ゴトーも乗せていって」
「お嬢様も乗せられますことよ」
「私は片づけないといけない敵がいる」
「お嬢様」

 咎めるような目で私を見る男を見上げる。私は一緒に行くことはできない。目的を果たすためにはあれを足止めしなければならないのだ。この程度の力であっても。掴んだままだった男の手を持ち上げ、指先に唇を寄せた。

「お嬢様、何を……」
「ごめんね。ずっと愛してたよ」

 ポケットから輝きを失ったコインを取り出し、男の手に乗せる。男が息を飲んだのが分かった。

「なりません。お嬢様」
「なんだ覚えてたの」
「当然でございます。数少ないお嬢様の我儘でしたから」
「なら受け取って。これも数少ない我儘だから」

 手を離す。男と目が合う。責めないでくれよ。やれやれと言った風にため息を吐くツボネと、驚いた顔で私と男を見比べる執事たち。男は間を空けてから、私に頭を下げた。……最後まで真面目な男だ。これで未練はない、と思う。死んだことはないから分からないけれど。私は男から視線を外し、アマネたちに手を振った。

「どうかご無事で」

 男の声を無視し、来た道を戻る。こういう時って、泣くのが正しいんだっけ。



title by 毒婦の皿/161117
リク:ゴトー夢