彼女は洛陽を慈しむことができない

「煙草臭い」

 事実の描写をしただけの、一切感情のこもっていないセリフ。こいつが部屋に入ってきたことに気づいてはいたが、せっかくの時間を邪魔されたくなくて無視していた。吸い終わる頃にはすっかり存在を忘れていて、部屋に戻った時少し驚いた顔をしたであろう私にそいつが言ったのがそのセリフだ。

 好きな男が一昨日死んだ。こんなご時世むしろ今までよく生きてこれたものだと思う。死を知らないわけでもなく、覚悟していないわけでもなかった私の目から涙がこぼれることはなかった。私は奴の吸っていた煙草を吸い始めた。
 好きだなんて思ってもみなかった。あの男は私にとってただの腐れ縁であり、死んだところでなんの感慨もわかないと思っていた。それがこの有り様だ。別に仕事に支障を来すとかいうことではない。ぼーっとしすぎて電柱にぶつかることもない。世界から色が消えるなんてこともない。ただ、ただ、一人、煙草を吸う。だって飛行機雲が見えるし、空は青くて風は爽やかだ。

「そりゃ今吸ってたから」
「やっぱりお前そうだったんだな」
「どうだろうね」
「次の作戦から新しいメンバーが参加する」
「へえ」

 へえ、そう、ふーん。私には関係のないことだと思った。ルールはルールだし、あいつを殺した奴が新規加入したところで何の問題もない。できるだけ気の合う奴がいいなとは思うが、こんなところに入ってくるのでまともな奴なんていない。たぶん私も。煙草をテーブルに投げ、柔らかすぎるソファーに沈み込む。テーブルも何も私が気に入って盗ってきたものなのに座ればあいつの姿が浮かんでしまう。これは重症だ。こんな普通の感情を抱く相手がいたことに相手が死ぬまで気づかなかった私はきっと何かが欠如している。周りに恋をしている人間がいたことがないから知らないけれど。
 クロロは勝手にコーヒーを淹れている。それは私のものでもあいつのものでもなく、たまにあいつに誘われてやってくるクロロが盗ってきたものだった。やっぱりそうだったんだな。この男は私の恋心に気がついていたらしい。恋心なんて大それた名前をつけたくはないが。

「人並みの感情を抱くことを厭う必要はない」
「は?」
「俺からすれば分かりやすかったがな」
「知ったような口利くなよ」
「子供の頃」
「思い出話ならよそでやって」
「お前は俺についてうろちょろしていたな」
「作り話もよそでやれ」
「煙草はうまいか?」
「まずい」
「何故吸う」
「うるさいハゲ」

 クロロは珍しく楽しげに鼻を鳴らしコーヒーをすする。今さら何を思い出せって言うのだろう。あの瞬間、肩を並べていた頃、意味もなく殺しをしていた日々、いつまでも私たちにはなれない私とあいつ。苦しい。部屋に射す日が眩しくて私は目を伏せ、両手でそれを覆う。慣れない。お前がいないことにいつ私は慣れる? クロロの座っている椅子も私が盗ってきたものだ、そして、あいつが愛でたものの一つ。まずいけどあいつの匂いなんだよ。

「ひどい」
「ひどい?」
「感情が」
「知りたくなかったか」
「出会いたくなかった、こんなもの。あいつにも」
「お前がそこまで参るとは」
「参ってんじゃない」
「あいつは夕暮れが好きだった」
「……何それ」
「お前と殺しをした後、夕陽を見るのが好きだと言っていた」
「……」
には赤が似合うし、と歩いてる俺も赤が似合うから、夕陽に染まるのが好きなんだ。変なこと言いやがってって目で見るからあいつには言うなよ」
「へったくそ」
「真似は得意じゃない」

 一緒にいたかったんだろうな。私はあいつと、あいつは私と。私だってあんたと殺しをするのも、夕暮れを歩くのも好きだったのに、どうしてそれを言わずに死んじゃったの。今あいつと会ったらこんな未練たらたらな女と恋しなくて正解だったとだけ言いたい。それから私はため息一つで全てを流すことにする。たぶん、煙草は吸い続けるけれど。

「ありがとうクロロ」
「どういたしまして」
「ハゲ」
「お前も飲むか」
「泥水?」
「嫌いだったな」
「わざとらしい」
「はは」

 この部屋のコーヒーと煙草の匂い。窓の外は眩しい。やっぱりこのソファー柔らかすぎるから新しいの盗りにいこうかな。……でもきっとこれを捨てることはできないからやめよう。テーブルから落ちそうだった煙草の箱を定位置に戻して私は目を閉じた。



title by いたみ/160317