恋病理
突風に思わず目を瞑る。彼が短くしすぎだと怒ったスカートは、寒さから私を守ってはくれない。私はあまり寒がりではなく、どちらかと言えば冬でも半袖で寝るようなタイプの子供だったが、年々それが弱まっている気がする。イヤホンから聞こえる音楽がちょうどクリスマスソングに変わり、小さく息を吐き出しながらコートのポケットの端末を掬い上げる。浮かれた夏の歌の方が余程いい。
私は男を見る目がないのかもしれない。片思いをする相手が毎回おかしいと友人は言った。私に彼氏ができないのは好きになる相手が彼女持ちだったり、塾の講師だったり、地元の不良だったりしたからというのが大きいだろう。もちろん私自身に魅力がないせいでもあるだろうけれど。全員悪い人ではなかったのだ。男を見る目がないのではなく、運がないのか、もしかして。そう思うことにしよう。世の中だとか運だとか、自分ではどうしようもないことに責任を求めた方が手っ取り早いし何より楽である。出会ってしまったのも、仲良くなってしまったのも、あの場面を目撃してしまったのもそれだ。かっこいいと思ってしまったのも! 今度は勢いよくため息を吐き、冷えた鼻を両手で覆う。ああ、全く。どう考えても私の趣味が問題だ。
「聞いた?」
次の日学校に行くと友人が開口一番そう言った。
「何を?」
イヤホンを両耳とも外し、机に肘をつく彼女を見下ろす。すると友人は呆れたように笑い、シャーペンの頭でとんとんと顎を叩いた。
「のお気に入りが問題起こして自宅謹慎だって」
「え?! 謹慎って相当じゃん」
「ほんと見る目ないねえ」
「一応聞いとくけど先輩の話だよね……」
「他にいないでしょ。なんか他の学校の生徒ボコボコにしたらしいよ」
他校の生徒を。ボコボコに。それで謹慎。友人に何も返せないまま椅子を引き、腰掛ける。先輩はそんな人ではない、とは言えなかった。何しろ私はその場面を自分で見ている。
見つかってはまずいかと思い昨日は逃げ出してしまったけれど、よく考えたら怪我をしていたような気もする。この学校で問題を起こすようなやつらにとって謹慎なんて意味がないし、数日で解除されるとはいえ、彼はそういうのとは少し違う。勝手にあの顔を怖がった不良に絡まれているだけなのだ。しかし暴力を振るっていたのは事実。他校というのがまずかったのだろう、たぶんあの制服はうちなんかとは比べものにならないほど偏差値の高い学校だ。
「心配?」
「心配」
「即答かー」
「悪い人じゃないよ。常套句だけど」
「何回も聞いた。連絡先知らないの?」
「……知ってるけど、連絡してどうするの」
「心配してますーってだけでいいんじゃん」
「だって女子じゃないし……うざがられるかも」
「学年違うしギクシャクしてもよくない?」
「全然よくない!」
まだ何か言っている友人を無視し、背を向ける。鞄を机の横にかけてから筆箱やらノートやらを取り出して、ついでに、あくまでついでにスマートフォンの端をつまむ。そのタイミングで担任が教室に入ってきて、徐々にざわめきが収まっていった。
担任の話をぼーっと数分間聞き流してから、スマートフォンを机の下に隠し、彼の連絡先を探す。交換したはいいものの特に用事もなかったので、前に一度送ったきりだ。そもそも、たまに帰りが一緒になるだけの私を友達だと思っているかも怪しい。いつも一緒だなと思っていたら彼が落し物をして、それを拾ってあげて以来の仲だが、話しかけるのはほとんど私からだ。記憶の中で私は無口な彼の横顔を見上げ、その視線に気づいた彼がこちらを見る。
……お気に入りか。しばらく下を向いていたせいで痛くなった首を休めるため、一旦前に顔を向ける。隠すのも面倒になって端末を机の上に出し、意を決して彼の名前をタップした。
散々悩んだ挙句に無難すぎる文面を送りつけたものの、連絡無精そうな彼からすぐに返事が来るわけもなく、落ち着かないまま午前を過ごすことになった。昼休みになり友人の方を向いてコンビニの袋を置く。友人が大げさにため息を吐き、スマホをカーディガンのポケットにしまった。
「次体育かー、めんど」
「寒いしね」
「先輩は?」
「まだ。寝てるんじゃない」
「つまんないなあ」
「エンターテイメントじゃないんだけど」
「ていうかまた菓子パン? 太るよ」
「うるさい。あ!」
「あ?」
「きてた」
「マジで」
「見ないでよ!」
「いや見せてよ」
クリームパンを頬張りながらスマホの画面を操作する。二件。数分前に来ていたらしい。友人の攻撃をかわし、恐る恐るそれを開く。
「なんだって?」
平気だ。悪い。
たった二件、二行しかない返信。それだけ。その五文字を何度も目で追う。言葉が少ないにもほどがあるだろうと思いつつ、ほっとして頬が緩んでしまった。スタンプを送るがすぐには既読がつかず、そのことにも安心して画面を閉じる。
「教えない」
「えー! ここまで来て」
「やっぱり悪い人じゃないんだって」
「そうかなあ」
「そうなの!」
突風に、思わず目を瞑る。こういう風が最近増えてきたなと思う。そろそろ本格的に冬が始まりそうだ。厳密にいつだとかは知らないし、興味もないが、朝の天気予報ではそんなようなことをよく言っている。信号待ちをする間、マフラーから顔を出して空を見上げる。紺に染まりきらない空には雲が浮かんでいて、風の流れがよく見えた。コマーシャルに起用されていたラブソング。クリスマスツリーの前で待ち合わせをする男女の姿が浮かぶ。あれはなんのCMだったか、はっきり思い出せない。信号が青に変わる。
「おい」
渡りきる前に声が聞こえ、何事かと顔を上げた。
「えっ」
数日間、待ち焦がれていた人の顔である。同一人物だろう。きっと。切れ長の目に意志の強い眉、ワックスで整えた髪。瞬きをしても変わらない姿を、何度も確認する。そうしてようやく私の頭は混乱しているのだと悟った。彼が困ったように眉をひそめ、前を見る。
「……信号」
「あ」
そもそもあまり車の通らない道なのでそこまで信号を守る必要はないのだけれど、なんとなく守らなくてはいけない気がして急いで渡る。渡った先で立ち止まり、イヤホンを外してから再び彼を見上げる。
「先輩……」
「ああ」
仏頂面のまま彼も私を見て、少しだけ気まずそうな顔をした。
「もう、謹慎解かれたんですか」
「昨日でな」
「そうなんですね。よかったです」
「……悪かった」
「え? あ、LIMEでも謝ってましたけど、謝らなくても」
「お前、あの時見てただろ」
「……気づいてたんですか?」
先輩はどうしていいか分からないという風に、ふいと目を逸らした。ポケットに突っ込んだままだった手を出し、首に手を当てる。
「怖がらせて、悪かった」
人が殴られているところなんて、画面の向こうでしか見たことがなかった。うちの学校は柄の悪い生徒も多いけれど、これまでそういう場面に遭遇せずに済んでいたのだ。それを目の前で、しかも友人であるところのこの人が加害者側であるシーンを見てしまった。唇の端に貼ってある絆創膏が目に入る。先輩の目は、こちらを見ない。
「絡まれたんじゃないんですか」
「……まあな」
「じゃあ、仕方ないと思います」
「怖くねえのか」
「私が殴られたわけじゃないので……」
「……そうか」
「怪我は?」
「してねえ」
「絆創膏」
「……あ」
「あはは。でも大したことなさそうで、よかった」
ふっと彼の表情が和らぐ。綺麗事かもしれないと分かっていた。それでも嘘じゃないし、この人が安心するならそれでいいのだと思った。
「先輩、何が食べたいですか?」
「……なんの話だ」
「復帰祝いに! 私、カフェぐらいしか知らないですけど」
「……ああ……」
「なんですか、その顔」
「いや……」
「はい」
「……なら……ちょっと、行きてえ場所があるんだが」
「え! 分かりました」
「誰にも言うんじゃねえぞ」
「え? 分かりました……」
長い沈黙の後に出てきた彼の言葉に(正確にはその睨みに)思わず肩を震わせるが、その背中を追いかけながら今度は別の感情が湧き上がってくる。誰にも言うなということは、その場所に行きたがっていると学校の人には知られていないということだ。そしてその場所に二人で行くとなると、要するに放課後デートである。二人だけの秘密、ではないか。小走りになってから、足の長さのせいで彼とは歩く速さが違うのだとやっと思い出す。しかしこの強面で喧嘩に強くガタイのいい男が、何を秘密にしたいのだろう。食べ物。……とは関係がないかもしれないが、そうだとしたら、甘いものが好きとか。
「先輩!」
「ああ?」
「食べたいものって、甘いものですか?」
「な……なんでそれを……」
「えっなんとなく」
「……絶対言うなよ」
「は、はーい」
大きく息を吐いた先輩の眉間には思いきり皺が寄っている。意外だ。この風貌で。だから黙っていてほしいということなのだろうか。そしてそれでも行きたいと私に話すほど、好きなのだろう。甘いものであれば写真目的で店に行くような女の子も多いだろうし、確かにこの人がいたら浮いてしまうはずだ。ああこのデートが最初で最後になってしまいませんように。自分の居場所として確立させたい私と、あまり近づいては迷惑なのではないかと遠慮する私がいる。どちらも、浮足立っているのは同じだ。この人のことを考えていないという点も。
「笑うな」
「えー」
笑いながら、首にかけたままだったイヤホンをスマホから外して鞄にしまう。先輩。彼の紫の髪が風になびくのを見る。困ったような顔も、狼狽えた顔も、私が初めに見たのだったらどれだけよかったか。鞄を肩にかけ直し、ローファーの先に視線をやる。彼にこれ以上近づいては、醜い感情が溢れてしまうのではないかと思った。誰にも理解されない人と仲良くなるということは、きっと私に優越感という名の毒を与えるだろう。はっと顔を上げる。風に目がやられる、ようで、ゆっくりと瞬きをする。
「さみ……」
ああ、けれど今は、この幸福のような雰囲気に浸らせてほしい。
相互さんとあみだで遊んだもの/171129