軽蔑をうむ

 後輩の男の子に惚れるなんてあってはならないことだと思っていたのだけれど、好みの顔で好みの雰囲気なんて好きになっても仕方がないと思う。図書委員である私の前に突如として現れた、たぶん寝床を探していただけの王子様。ファンクラブなどという過激な組織には所属していないが私の愛はそんなものを通さなくても伝えられるはずだ。とは言え伝える必要などないし、募らせるのが正しい類の感情である。ファンクラブに所属している友人から劇団に所属したらしいと聞いて以来、二年連続でクラスが同じになった咲也くんと話す機会が増え(元々つかず離れずすれ違ったら挨拶をする程度の仲ではあった)、公演のチケットを買うまでになっていた。

ちゃん」
「あ、どうしたの」
「今日お昼一緒に食べない? 万里くんも真澄くんも用事あるみたいで……」
「ああ、もちろん」
「ありがとう」

 密やかな罪悪感がひしひしと私を締め付けていくのが分かる。後で友人に断りを入れないといけないなと思いながら、自分の席に戻っていく咲也くんの背中を見る。他に友達がいるかどうかは知らないが、きっと元々の友達や、摂津碓氷ペアの次に誘うべき相手として私がランクインしているのだろう。ちょうど友人が登校してきたので意識を戻し、私は彼女に手を振った。
 移動教室から戻り賑やかなクラスを出る。あの摂津万里が咲也くんと仲が良いなんて、劇団のことを知らなかったら正直信じられない。ほとんど同じタイミングで前の扉から出てきた咲也くんと目が合い、手を挙げる。まあ問題は言わずもがな摂津万里でも咲也くんでもない。
 外に出ると随分肌寒く、冷えた指先をカーディガンで覆う。そろそろ冬用のコートを出すべきだろうか。

「寒くなってきたね」
「そうだね。まだ外で食べるの?」
「あ、ごめん! 教室の方がよかった……よね」
「ううん、私は平気だけど。食べよ」
「あ……うん」

 この子が言うに碓氷真澄は、どうやら壮絶な恋をしているらしかった。怪しまれないように、培ってきた信頼を振りかざしながら聞き出した、咲也くんから碓氷真澄への小さな評価の積み重ね。つまり今や私はファンクラブの人間よりも碓氷真澄について知っている。
 そうして私は、この感情が信仰でも恋心でもなく、ただの羨望と執着なのだと理解した。

「そうだ、今度の公演のチケット、持ってきたんだ」
「あ、ほんと? お金後で払うね」
「ありがとう。今回は万里くんが出るよ」
「秋組だっけ」

 何故か弁当のバンドに挟んであったそれを咲也くんが渡してくる。そういえば寮の人が作ってくれていると言っていたな。タイトルを見て、前に貰ったフライヤーを思い出す。任侠ものと聞いたが、あまりそういう作品に触れたことがないので、どういった話だか想像がつかない。チケットを弁当が入っていた手提げにしまい、私も弁当を広げた。
 しばらく公演の内容を話してくれた後、咲也くんはこの間あったというイベントのことを話し始めた。学校からはそう遠くないが家からでは遠いため、天鵞絨町のことはあまり詳しく知らないが、様々なイベントを行っているらしい。

「真澄くん、監督を探しにいくって言っていなくなっちゃってさ」

 彼の口から発せられた単語に心臓が跳ねる。これだ。この感覚。冷めたハンバーグの欠片がぽろりと箸から零れた。

「困った子だね」
「あはは……いい子だよ。それに、一途っていいことだと思う」
「一途ねえ。学校で見てる限りでは、そんな風には見えないんだけど」
「うーん。劇団でも、監督以外にはいつもの感じだよ」
「そうなんだ。ちょっと見てみたいな、それ」
「聞いてみようか?」
「何が」
「え、えーと、来てもいいか……? ちょうど試験も近いし、勉強しに」
「え? いいの?」
「今日帰ったら聞いてみるよ」

 私はこの子の好意にとことん甘えているなあ、そう楽しそうな横顔を見つめがら思う。ここまで仲良くなるつもりはなかったのに。にんじんのグラッセを箸の先で割る。碓氷真澄よりも先に出会っていればこんな風に考える必要はなかったのだろうか。そもそも彼への思いは恋などではないと結論づけたのだから、今からこの子に恋をすればいいのではないか。ああ、心がそんな簡単に扱えるわけがないと知っている。口に運んだにんじんは油っぽくて、心地悪い食感だった。


 試験勉強なんて前日にささっとやる程度のことしかしない私にとって、勉強という口実は新しかった。あるにはあるがそんなもの本当にただの口実だ。でも咲也くんはやるのだろう。何せ通されたリビングのテーブルには教科書が並べてある。やけにタッパのある人がお茶を出すついでに監督ももうすぐ帰ってくるだろうと説明してくれた(秋組の人らしい。存在感と裏腹に口調は優しかった)。土曜日の昼過ぎとあって人が多く、なんだかそこかしこに舞台で見た顔がいて緊張してしまう。そんな私に気づいたのか咲也くんがお菓子を勧めてきた。

「ごめんね、休日に」
「ううん、ちゃんがいるなら勉強も安心だよ」
「それはなんか……うーん……そういえば、真澄くんいるって言ってなかった?」
「ああ、真澄くんも監督と出かけてるから、戻ってきたら合流してくれるといいんだけど」

 歯切れの悪い咲也くんに、確かに碓氷真澄はなかなか気難しそうだと思う。こちらから声をかけたくらいでどうにもならないだろう。そう考えているとタイミングよくリビングのドアが開いて、そこから女性が顔を覗かせた。
 あれか。
 見てすぐに件の監督だと分かった。服装から分かるのは女の子らしさよりも動きやすさを重視するということ。想像よりも若い。いや、碓氷真澄が恋をするくらいなのだから若いだろうとは思っていたけれど。監督とぱっと目が合ってしまい、思わず立ち上がる。

「すみません、お邪魔してます」
「あ、咲也くんのお友達?」

 彼女が室内に入ってくると後ろから愛しの王子様がやってきた。駄目だ。ゆっくり瞬きをすることで彼の姿を視界から追い出すことに成功する。どうせ私のことなんて認識していないだろうけれど。何度か学校で話したことはあるが、それも委員会の仕事での挨拶程度だ。
 彼女は荷物を置き、立花いづみと名乗った。ずっと気が狂いそうなほど心臓が素速く血液を送り出している私と違い、冷静そうな人だった。分からないのだろうなと思った。私の気持ちも、碓氷真澄の気持ちも。

「真澄くんも、勉強しない?」
「しない。監督手伝う」

 咲也くんとの力関係が一瞬で把握できてしまった。なんだか気まずいなと思っていると、食料を巨体さんに渡しながら立花いづみがこちらを見る。

「あ、もうすぐ試験だっけ? 真澄くん、私の方は大丈夫だし、勉強したら?」
「……アンタが言うなら……」
「はは、さすがだな」
「ごめん臣くん、後よろしくね。あ、お友達もゆっくりしていって! 大したお構いもできなくてごめんね」
「あ、いえ」
「どこ行くの」
「買い出しの続きとか、でも夕飯までには帰るよ。いってきまーす」

 慌ただしく去っていった立花いづみに、碓氷真澄は綺麗な顔を少しだけ歪めた。その表情があまりに物憂げで美しく、見とれてしまいそうになる。巨体さん改め臣くんさんは碓氷真澄の分のお茶をテーブルに置くと、再びキッチンに戻っていった。

「よろしく、真澄くん。咲也くんから話は聞いてるよ」
「あっそ」
「ま、真澄くん、教科書持ってきたら?」
「ていうかこいつ誰」
「俺の友達だよ」
「ふーん」

 目が合う。そりゃあ君からしたら知らない女だろうけれど、私にとってはあの女がそれなんだよ。到底言えるはずのない、理屈の通らない言葉が過ぎる。吊り目がちな瞳は気だるげにテーブルに向き、それから彼は無言でリビングを出ていった。想像以上だ。最早どうしてファンクラブができたのか分からない。でも、彼を一目見たら抗えないのだということは理解できる。ようやく元々座っていたところに座り直すことができ、一息つくと、咲也くんが申し訳なさそうに言った。

「ごめんね。その……」
「いいよ、聞いてたし。ていうか、本人にあんなはっきり言ってるんだね」
「そうだね……いつも言ってると思う。それだけ好きなんだろうなあ」

 それは違う。咄嗟に否定の言葉が浮かぶが、口から飛び出してはくれなかった。違うと思いたいだけなのだ。そして碓氷真澄の感情を否定することが自分への否定に繋がるとも、分かっている。本当に碓氷真澄のこととなると自分が醜くて嫌になる。
 しばらくして勉強道具を持ってきた彼は案の定咲也くんの隣に座り、周りの音を消すためかヘッドホンを装着した。私はいそいそと教科書を開く咲也くんを見る。

「咲也くん」
「ん?」
「咲也くんはあの人のこと好きなの?」

 碓氷真澄の動きが止まった。

「あの人って……え?! ち、違うよ」
「あんまり女性的じゃないけど、まあ綺麗だし、年上は憧れるよね。劇団の監督が一人と恋愛するわけないとは思うけど、いいんじゃない?」
ちゃん、」
「お前」
「うわ、ま、真澄くん」

 ガタ、とテーブルが揺れた。碓氷真澄が私を見つめている。碓氷真澄が私を見つめている。私も彼を見つめ返す。これが最後かもしれないと思った。ヘッドホンを外す右手は白く、骨ばっていて、私は彼を人として認識するのが初めてだと気づく。神だと思えればよかったのだ。そうして心の拠り所にするのが正解だったし、それが無理でも羨望に収めていれば楽だった。どうしてよりによって恋なんだ、どうしてよりによって、碓氷真澄なんだ。紺色の瞳が私を殺すために燃えている。
 私だって、別の人を好きになりたかったよ。



相互さんとあみだで遊んだもの/171020