僕が神様なら悲しみなんて与えないのに

 駅前で幸くんを見かけた時、正直声をかけるかどうか悩んだ。私が先日まで毎週見ていた彼は制服だったし、話には聞いていたが、本当にあんな格好をしているとは思わなかったからだ。でも声をかけるよりも前に彼が私に気づいて、私を手招いた。そのことに軽く驚きつつも彼のもとに向かう。紺色の丈の短い長袖にオレンジのショートパンツ。パンツではあるけれどどう見ても女の子だ、そしてどう見ても女の子なのに、絶対に男の子にしか見えない違和感。近くに行くと彼は品定めするように私の全身を眺めた。

「あんた暇?」
「え」
「暇なら付き合って」

 品定めの結果を口にすることなく彼はスマホに視線を落とす。腕時計で昼の三時過ぎであることを確認し、特別この後用事はないなと考える。それから何も言わずスマホをいじり続ける幸くんの横顔を見た。

「えーと、幸くんはお買いもの?」
「そう。今日中に形にしたいから」
「あ、こないだ言ってたやつ?」
「まあね。で、暇なの?」
「うん、大学から帰ってきたとこ」
「ふーん。大学生って暇なんだね」
「日曜だから……」
「あんたこのへん詳しい?」
「うーんまあ。どこ行きたいの?」
「ここ」

 スマホの画面をずいと目の前に出され、思わず身を引く。本当に勢いのある子だなあと思う。見てみると、どうやらここから五分くらい歩くお店らしい。

「ああ、分かった。行こうか」
「たまには使えるじゃん」
「はいはい。それ重くない?」
「別に平気」
「そっか」

 いつものように澄ました表情をする幸くんになんだかほっとする。彼が見慣れない服装だから緊張しているのだろう、と結論づけた。
 幸くんが何か衣装作りのようなことをしていると知ったのはつい最近のことだ。元々私の服やらアクセサリーやらに反応を示す子で、部屋にも女性向け雑誌が置いてあったので、オシャレが好きなのは知っていたのだが、実際に自分で服を作ると聞いて純粋に尊敬した。趣味の一貫と言うと少し感じが悪いかもしれないが、オシャレが好きだからって作る方に行く人は珍しい(と私は思う)し、そこまでそれを突き詰めている彼が眩しく見えた。あー女装の。たまたま彼と同じ中学校に通っている弟の言葉を思い出す。女装。弟は口ぶりからして幸くんのことを嫌いだったわけではないだろう。ただ中学生の男の子で女の子の格好をしていれば、そのレッテルが独り歩きしてしまうのは仕方がないとは思う。

「せんせー」

 考え込んでいると後ろから声をかけられ、思わず肩が跳ねた。しかし彼の口から発されたのは数日前に私が失った肩書きで、自然と笑みが漏れる。彼がこの呼び方をするのは、ほとんどの場合からかうのが目的の時だったけれど。

「なんですか、瑠璃川くん」
「そこだよ」
「あ、ほんと」
「ぼーっとしないでよね」
「ごめんごめん。布のお店なの?」
「布とか糸とか」

 店に入っていく幸くんに続く。小ぢんまりとした店内に所狭しと並べられた色とりどりの布が目に入る。糸だとか小物類は奥にあるらしかった。きょろきょろしているとレジのところに座っている女性と目が合って、思わず幸くんの手元を覗き込んだ。
 しばらくして目当てのものを手に入れた幸くんと店を出る。意外と長居していたらしく、もうすぐ四時になろうとしていた。

「幸くん、まだ時間ある?」
「え?」
「お茶しない?」
「……いいけど」
「けど」
「そういえばあんた、もう辞めたんだったね」
「ああ……確かに、バイトしてたらこういうのはまずいかもね」
「かもじゃなくて、まずいでしょ」
「あはは。でももう、ちょっと歳が離れてるだけのただの友達だから」
「そんな離れてないけどね」

 近くに喫茶店があったので、話しながらそこに向かう。日曜とはいえ四時前ではあまり混んではいなかった。七つ差は大きいよと思ったがそれは言わないでおこう。年上ぶるのは私の悪い癖だし、そういう態度をこの子は嫌がる。それを分かっていて口が滑っただけだと分かったはずだが、見逃してくれるほど甘くはない。案内された席につき、幸くんにも見えるようにメニューを開く。

「お腹空いてる?」
「空いてない」
「あ、ていうかすぐ夕飯の時間だよね」
「まあね。俺これにするけど、あんたは」
「私ブレンドでいいや。店員さん呼んでいい?」
「うん」

 期間限定のマロンラテ。手を挙げるとすぐそれに気づいた店員がやってくる。そういえばこの子は甘いものを嫌いなわけではなかった。担当していた別の男の子が甘いもの嫌いだったので、不思議に思ってしまった。店員が去ってメニューを元の場所に戻す。一息つきながらお冷を口に含むと彼の視線を感じ、彼を見るが目は合わない。

「そのピアス初めて見た」
「そうだっけ? 新しくはないけど」
「ふーん。色綺麗」
「分かる、それで買ったんだよね」
「単純」
「ひどい」
「ほんとのことじゃん」
「まあね」

 なんとなくピアスに触れて耳たぶから垂れる球体を揺らす。弟や友達に単純だと言われると多少腹立たしいのに、呆れたように単純だと言う幸くんにはむしろ嬉しくなってしまう。きちんと人を見ている子なのだ。アクセサリーだとか、そういう物だけではなくて、私のことを見ている彼が言うことだから納得できる。

「あれからどう? 勉強頑張ってる?」
「なにそれ。自分の単位の心配しなよ」
「私は大丈夫だよ、真面目だから」
「俺も真面目なんだけど」
「だよね、私の自慢の生徒だもん」
「家庭教師のバイトでその言い方する?」
「します。事実でしょ」
「あっそ……それよりは別れられたわけ」
「あー、うん、一応ね。怒ってたけど」
「よかったじゃん」
「ありがとう」

 情けない。こんな年下の子に心配されるなんてどれだけ弱いのだろう。誤魔化すように笑ってもう一度コップを持つ。いわゆるヒモ男に対する情を捨てきれずにいた私を叱咤してくれたのは、この子だった。もちろん友達にも別れろとは言われていたのだけれど、その話題になることを私の方から避けるようになっていた。幸くんは正しい。私はこの子の弱い部分を見たことがない。じっと私を見つめる目を今度は見ることができず、ピアスに手を伸ばす。気まずく思うほど間が空く前に店員が飲み物を持ってきて、私はやはり少しだけ惨めな気持ちになる。
 彼はストローでクリームを押し込み、中のどろりとした茶色い液体と混ぜていく。そこから目を逸らして私はカップに口をつけた。

ってネイル興味ある?」

 沈黙を破るためか、唐突に彼が言った。真っ直ぐな大きい瞳が私を見ている。

「え?」
「ネイル」

 ネイル。幸くんの言葉を頭で反芻し、自分の手を見た。やりたいと思ったことはあるが、サロンに行くにも自分でやるにも面倒があるなあと結論づけた覚えがある。

「まあ、やってみたいけど、なかなかね」
「俺にやらせてよ」
「えっ幸くんやるの?」
「やったことないけど。最近興味あって」
「幸くんならすっごいかわいいのできそうだね」
「いいの?」
「むしろいいの、やってもらっちゃって」
「練習台だから」
「ちょっと!」

 楽しげに口元を緩ませた幸くんはそのまま再びストローの先をつまんだ。色白で細く、綺麗な指先。幸くんも似合うだろうな。パステルカラーというよりは今日の服装みたいなはっきりした色のデザインかなと考える。

「何色がいい?」
「うーんどうかなあ。私あんまり派手な色は着ないし」
「そうだね」
「お任せする」
「あ、そう。分かった」
「幸くんなんでもできてすごいね」
「……好きなだけ。服だってかわいいのが好きってだけだし」

 寂しげな目をして彼は甘ったるい飲み物を吸い込む。ああ、まずいことを言ったみたいだ。時々幸くんはこういう顔をする。そしてそれは大抵が服や自分の趣味に関することだった。かわいい服を着る彼を見つめる。中学生で、かわいらしい容姿で、女の子の服を着ているということ。ごめんね。本当は、随分前から口には出せない謝罪が心の中に積もっている。弟から「瑠璃川幸」のことを聞いていたのだということも話せていない。私にこの子のことを理解する力があったらいいのに。せめてもう少しだけ、近くに寄り添える立場だったらよかったのに。親指の腹でぎゅうと中指を擦るようにする。

「でも私は尊敬してるよ」
「薄っぺらい」
「ごめん……」
「あんたのそういうとこほんとむかつく」
「だよね」

 言い返すことができない私の視界で、ストローの先がぐちゃぐちゃのクリームをすり潰している。冷め始めたブレンドは酸味が強くて味わっていられなかった。それでも本当なのだと主張できるほど私はこの子と仲がいいわけではない。実際に幸くんがどう思っているのかは分からないし、どちらかと言えば心を開いてくれている方だとは思うけれど、つまりは私がこの子のことを拒絶しているのだろう。そのことがひどく悲しいようにも、当然のようにも思えた。

「いつがいいの」

 不機嫌さをしまわないままの彼が呟く。取り繕わないあたりが子供らしく、その鋭さをいつまでも失ってほしくないと思った。

「直近だと来週の土曜かな。私の家でやるなら割といつでも平気だけど」
「土曜は昼なら暇なはず」
「よかった」
「ていうか連絡先教えて。今ならいいんでしょ?」
「あ、うん」

 鞄に入れていたスマホを取り出して操作する。なに、今ならって。別に聞き返すようなことでもないし、何より私が勝手に反応してしまっただけなので言わないでおいた。もちろん関係性が変わったせいだと分かってはいるのだけれど。

「あとやるなら俺の家ね」
「え、行って大丈夫なの?」
「大丈夫。便利だし」

 連絡先の交換をしてから幸くんを見ると、機嫌は多少戻っているようだった。スマホの画面の一番上に幸くんの名前が表示されている。私は画面を閉じてそのなんとも言えない感情を飲み込んだ。
 店を出るとさすがに昼間よりは肌寒く、空も暗くなり始めていた。もうすぐ冬が来る。私たちの意志とは関係ないところで何もかもは終わっていく。今日は一日晴れだと言っていたから、夜は星が見えるだろう。

「ねえ」
「ん?」
「別に疑ってるわけじゃないから」
「え、何が」
「尊敬」
「……ああ」

 隣の幸くんを見やるが彼は空など見ずに俯いていた。考えながら言葉を発しているのだろう、少しだけ間が空く。

「俺はあんたのああいうところが嫌いだけど」
「うん」
「……尊敬もしてる」
「……そうなんだ」
「茶化すな」
「茶化してないよ」
「だから、ありがと」
「あはは、うん、こちらこそ」

 照れているのか不機嫌そうな声色で言った彼に安堵する。どうかこの子が傷つけられることがないように。この子が過去私を救ってくれたように、私もこの子を少しでも守ってあげたい。おこがましい願いは口にすることができないけれど、こんなものは伝わらなくてもいいのだと思った。
 逃げるように見上げた空は青く、月が薄っすらと輝いていた。



企画サイトぼくら主演サイレント映画様に提出/171005