まやかしの放熱

 駅前は思った以上に混雑していて、焦ってしまう。ただでさえ歩きづらいのに、合流する前に疲れそうだ。彼氏か男かと盛り上がった姉および母親に頭を好き勝手弄られ、薄くだが化粧までされたことで、緊張は疲弊に変換された。駅には相手を待っているのであろう人が多くいる。電光掲示板の時間を遠目に見ると、ちょうど五分前だった。あいつは遅刻魔だし適当だから来ていないかもしれない。そう思ったところで見覚えのある美人が視界に入った。美人。浴衣を着ている。そいつが何故かこちらに気づいて、目が合う。紺色のストライプ。スマホと私を一回ずつ見た摂津、から、目を逸らし足元に注意しながら歩く。

「おまたせ」
「べつに」
「人多い」
「そりゃな」

 ガードレールに寄りかかっていたのをちゃんと立って、摂津は私の半歩前を歩きはじめた。

「浴衣」
「あ?」
「着てくると思わなかった」
「あー、まあな」

 浴衣を着てお祭りに行くということ。しかも男女で。その意味、というか雰囲気を理解していないわけではないだろう。でも口にしてはいけないのだ。まだ明るいから。人ごみを縫うように二人で歩く。こんなに口数が少なかっただろうか。私もこいつも。普段会話をしないから分からない。普段話さないのに、ゲームくらいしか繋がりがないのに、こうして一緒に歩いている。まあなってどういうことだろう。今さら考える。
 学校ではほとんど顔も見ない関係。たまたま彼のはまっていたゲームを惰性でやっていたのを発見され、知り合いになってしまった、友達のいない天才。小さな優越感と、恋になりきらない独占欲があった。
 屋台の前には既に列ができている。子供連れや女の子たち、男の子たち、それからカップル、人々の賑わっている空気につい楽しくなる。

「あ、射的だ」
「興味あんのか?」
「ふつう」
「なんだよ」
「あ、金魚」
「あー」
「興味ないの?」
「ねえな」
「ふーん」
「リンゴ飴とか食うの、お前」
「あんまり好きじゃないけど、食べるよ」
「好きじゃねえのに食うなよ」
「お祭りってそういうとこじゃん」
「あんま来ねえからわかんね」
「そう」

 摂津は大して興味もなさそうに屋台を見ている。きちんと下駄をはいているということに気づく。私に何ができるのだろう。この人はどういう気持ちで駅に向かったのだろう。私に浴衣で来いと言った時は? 本当は何もかも違うのかもしれない、ただ気まぐれにお祭りに行きたくなって、でも誘う相手がいなかったから私に声をかけたのかもしれない。けれど摂津はプライドが高い。特別仲のいい人がいない私と二人でいるのを見られたら、とか、考えていないはずはないのだ。ふと見上げるとピアスが目に入る。喧騒の中、男が口を開いて何か言ったように見えた。

「なんか言った?」
「あ? ああ、花火」
「はなび、」
「上がんだろ?」
「あ、うん、たぶん」
「あー、にしても人多すぎだっつーのマジ」

 その後も何かぶつくさと文句を述べているようだったが、それはあまり重要ではなかった。確かにこのお祭りでは夜に花火が打ち上げられるし、ここまで来たら見るものだとは思うのだけれど、いよいよ私の手には負えないような気がした。空は遠くから青を増している。
 結局だらだらと歩いた後、私はりんご飴を買った。それを持って、人の少ない道の隅に立つ。摂津は腕を組んで近くの木に寄りかかっている。二口ほど食べたところで耐えきれなくなって、私は顔を上げた。

「ねえ」
「ああ?」
「なんで?」
「何が」
「ぜんぶ」
「……興味あったから」

 きょうみ。唇に付着した甘ったるい水飴を舐める。目の前のかじられた球体に焦点を合わせて、男の言葉を反芻する。興味があったから。大勢の人の話し声やその人たちの足音、どこかから聞こえる乾いた太鼓の音、蝉たちの叫び、風が木の葉を揺らす音や、りんごを咀嚼する音、それらが唐突に私の耳を塞いだ。お祭りや花火のことだとしたらどれだけ楽になれただろう。ああ、うるさい。聞き返すことのできない間を空けてしまった。
 りんごから口を離す。でもこの人が嫌がっていたのは人ごみであって、お祭りそのものではない。まだ三分の一ほど残っているそれを近くにあったゴミ袋に捨てて、私も男のするように人の流れを見る。
 どうしようかな、そう沈黙を気まずく思った、その瞬間、向こうの空で光が弾けた。

「あ」

 思わず声を上げ、ちゃんとそちらに体を向けた。散っていく花たちへ、歓声が上がる。恐ろしくもある大きな重低音は続く。
 聞かなきゃよかった。たぶんあの儚さに私の光は飲まれてしまっていた。誘ってくれたこと、二人で歩けたこと、こうして隣にいること、そしてそれらが幻でないということ。ぱちぱちと細かい音が遠くの空で舞っている。いつの間にか私たちの前の道からは人が減っていた。みんなもっと近くで見ているのだろう。たくさんの色が含まれた複雑な火花に、感情が動かされる。ずっと見ていたい。けれど永遠に続きはしない。だからこそ私はこうして、呆然と見つめてしまうのだ。
 最後に大輪の花を広げて、宴は終わった。あちらの方では拍手に混じって野次やら口笛やらが飛び交っている。

「あっけないね」
「こんなもんだろ」
「まあ、そうか」

 口をついて出た言葉にいつも通りの返事があって安堵する。ここはまだしばらく賑わっているだろう。段々人も減るだろうし、それから帰るのがいいように思えた。だからと言って、このまま二人でいても沈黙が続くだけなのではないか。不安に思うがそれもすぐに打ち破られた。

「家どこだ」
「あっちの……あはは、送ってくれるの?」
「あー、やっぱやめた」
「冗談だって」
「俺も冗談。行くぞ」
「え」
「今なら空いてんだろ」
「あ……うん」

 さっさと歩いていってしまうので、慌てて彼を追いかける。なんなのだろう、一体。冗談? まさか本当に送ってくれるのだろうか。少なくはない人通りに紛れる摂津の背中、これから先見ることのないであろう景色、夏の湿り気、ざわざわする心の声、それらに飲まれたくなくて、私は焦っていたのだろう。咄嗟に腕を伸ばし、男の浴衣の袖を掴んだ。振り向いた彼の驚いた顔。

「あ、ごめん」
「いや、悪い」

 バツが悪そうに眉をひそめ、彼は歩く速度を緩めてくれた。そして何故か、袖から離した手をとられる。はっとする。腕。手首の上あたりに摂津の手のひらがある。なんで? あつい。あつくて……。私が手を上げれば、容易にそれは為されるのだろうと思った。完成、あるいは完結させることができる。鋭く、重い心音が、全身を刺す。痛い。何か言って。言い訳をして! 当たり前だけれどそんなことが叶うはずもなく、私は深呼吸を繰り返す。腕を動かすと湿った手のひらが一瞬離れ、そしてようやく、重なった。あつい、本当に、ひたすらにあつい。どうしよう。どうしたらいいんだろう。心臓が口から飛び出そうなくらいうるさくて、家を出た時より乱れてしまった襟元を押さえる。
 大した会話もなく、私たちは人ごみを抜けて、住宅街を歩いた。人の少ない薄暗闇の中でただ私の手が彼に触れているということ。最大限の勇気を振り絞って口を開く。

「このへんで大丈夫」

 摂津の手を引き、街灯の先で立ち止まる。もうずっと足が痛いということに今更気づく。手は簡単に離されて、名残惜しいと思う間もなく彼が言った。

「また誘うわ」
「え……そうなの?」
「当たり前だろ」
「あはは……そう」
「じゃあな。転ぶなよ」
「うん。色々ありがとう」

 ばいばい、手を振って、私は彼に背を向ける。下駄の音はしばらく一つしか聞こえなかった。首に手を当てると熱く、湿っている。当たり前。何も当たり前ではないと思う。再び熱が上がるのが分かる。未だ感触の残る手を握りしめる。……興味が、あったから?



title by alkalism/170630
リク:摂津万里夢