ロイヤルなハニー

 よく行く喫茶店がある。外に行きたい時というのが定期的にあって、でも目的もなく散歩をするのは好きじゃないので、そういう時はとりあえずそこに向かう。意味もなく本屋に寄ったり、思い出して買い物をしたり、それで結局そこに行き着くパターンが多い。とはいえ一人でその行動をすることが頻繁にあるわけではない。暇を持て余していてテレビは退屈、本を読む気分でもないしただお金はあって、しかも天気がいい。そんな条件が重なった時だけだ。そもそもの話暇を持て余すということが多くない。
 正直私は旦那と買い物に行くことが得意ではない。遠出するだとかならまだしも、普段の買い物なんてどちらか一人で事足りるし、そうやって意味のない時間を共有したいと思っていた時期は過ぎた。

 今日は朝からよく晴れていた。昨日の雨を引きずらない晴天。そういう日が好きだ。二度寝から目覚めた午前十一時、体調を計るためという言い訳を浮かべつついつも通りの一本を吸う。寒くもない、けれど少しだけ風が強く、乾いた空気が髪をなびかせる。明日からまた忙しくなる。どこかに、あそこに行くべき日だった。今から準備して十二時までに家を出ようと決める。そんな決め事は大抵守られないから実際に家を出るのは一時を過ぎるだろう。それを分かっていて私は十二時に出ようと思う。リビングでコーヒーを飲んでいる彼の何時に帰ってくるかという質問には、分からないけど夕飯までには、と答える。たまにこういうことをすることを彼は分かっているから、きっと何も言わない。気をつけてとだけ。でもその一言があるから、私は帰りにお菓子でも買ってこようかなという気分になる。そしてそれも大抵守られることのない決め事だ。だから彼にそう宣言したことはない。

 喫煙席、窓際の一番端。本屋でしばらく立ち読みし、興味のなくなったところでそこを出た。ずっと読みかけのままの小説が鞄には入っている。そういえば彼に返さなきゃな。二時にもなれば客は減るものだ。広めの喫煙席には私を含めて五人ほどしかいない。アイスの、ハニー、なんとか。確かミルクティー。ロイヤルかもしれない。クリームを崩して押し込みながら一口喉に通す。冷たい。
 その時隣に人が座った。どうしてこんなに席が空いているのにわざわざここにと思いつつも、テーブルの上の煙草やら灰皿やらを少しこちらに寄せる。視界に入る範囲ではトレーもカップも灰皿もない。そこでその男が言った。

「ライター貸してください」

 灰皿もないのに? さすがに不審に思って顔を上げると、目が合った。

「……それ、……煙草くれって意味?」
「気づくの遅いよ。もっと警戒しといてくんなきゃ」

 差し出すまでもなく私の目の前にあった煙草の箱を取り、シャルナークは一本出した。ライターの音。なんでこいつがここに? 驚いて周囲に円を張るが近くの席には相変わらず誰も座っていないし、喫茶店の周りまでに念能力者もいない。一人だろうか。まさかここで知り合いに、しかもセフレに会うなんて思ってもみなかったのでなんて言えばいいのか分からず、とりあえず返された箱を元の位置に戻した。

「これ何?」
「……ハニー……ロイヤル、ミルクティー?」
「なんで疑問形?」
「あの、なんでここにいんの?」
「いたらおかしい?」
「おかしい」

 オシャレで地味で一般人のような格好をしたいつものシャルナークは、真っ直ぐ目の前の窓に向けて煙を吐き出した。最後に会ったのは二週間くらい前だっただろうか。次にいつ会うだとかいう約束は別れ際にせず、会う日の一週間くらい前に連絡を取るので、こうして突然会うのは変な感じがする。対処のしようがない。考えている間にも私の持ってきた灰皿に同じ灰が落とされていく。こいつのことだから私の住んでいる場所くらい知っていても不思議ではないが、それにしたって。

「一口もらっていい?」
「いいけど」
「ありがとう」
「……まあ、いいけどね」

 答える気はないようなので諦めて私も煙草を取り出す。こいつのせいであと二本しかない。元々全部吸い終わる前には出ようと思っていたのに、これでは早まってしまう。ていうか飲み物ぐらい買ってこいよ。言おうとして盗賊だったと思い出す。さすがにこれは盗まないか。

「暇なの?」
「そうかもね」
「なんだそれ」
「ここでぼーっとするっていう用事の最中ではあるけど、これを暇と呼ぶこともあるわ」
「なるほど。じゃあ俺が今からホテル行こうって言ったらオッケーできるね」
「夜までに帰れるならいいわよ」
「冗談だって」
「分かりにくい冗談ね」
「なんで既婚者が一人でぼーっとしてんの?」
「してたらおかしい?」
「おかしい。あはは」
「何の用で話しかけてきたのよ」
「おいしいケーキ食べようと思ってさ」
「……おいしいケーキ?」
「こっから二十分ぐらいかな」

 意外とちゃんと揉み消すんだなと思いながら私はケータイを触る。私の口から吐き出された煙はプラスチックのコップを通るように消えていく。どこかの登場人物が煙草の消し方には性格が出ると言っていたことを思い出した。性格でなく女の扱いだったかもしれない。画面になんのサインも出ていないことを確認する。分かっていても何度か見てしまう。きっと彼は家にいる。ほんの少しの安堵がケータイをしまうことを可能にする。冷たいものがどんどん食道以下を通っていくのを感じながら、まだ半分ほどしか吸っていないそれを灰皿に押し付ける。クリームが乗っていたせいであまり全て飲み干した感じがなく白いコップ。

「私ムースが嫌い」
「あー俺も」
「煙草吸える?」
「さあ。吸えないんじゃない?」
「そこのコンビニで煙草買うから待ってて」
「盗ってこようか?」
「依頼料とか発生するんじゃないの、それ」
「するかもね」

 鞄を肩にかけ、灰皿とコップ、ストローの入っていた紙を持つ。もう一度ケータイを確認するとちょうど三時になるところだった。
 やっぱり決め事は守られそうにない。