悩み
飯田と砂藤、緑谷という筋力増強系の個性を持つ面々との、学校のグラウンドを借りてのトレーニングを終え、寮に戻る。飯田と走り込み及びふくらはぎの筋肉を鍛える予定だったが、やはり四人もいれば特訓方法は飛躍し、なんだか楽しんでしまった。
空はもう随分暗く、空気が冷たい。さっさとシャワーを浴びて寝てしまいたいなと思いながらリビングに入ると、瀬呂やら上鳴やらがテレビを見ていた。サッカーだろうか。集中していたのか、飯田が大声で挨拶をするまで私たちの帰宅に気づかなかったようだ。
「あっ。お前スマホ忘れてった?」
「え?」
こちらを向いた瀬呂に呼びかけられ、はっとポケットの中のスマホを掴む。あった。通知の類は大体切っているが、あまり人前に置いていきたくはない。
「持ってるよ」
「お前ねえ、連絡つかなかったら忘れてるのと一緒だよ」
「あ、ごめん。何?」
「切島の部屋で漫画読むから来るかなって。借りるつもりだったけども読んでるだろ」
「ああ、うん。読んだの?」
「読み切れなかったからまた行く」
「ふーん。ご飯の後行こうかな」
「おー」
「切島は?」
「あ、! スマホ忘れマン」
「なんだそのあだ名」
トイレから戻ってきたらしい切島に指を向けられ、マンじゃないという反論を飲み込む。忘れてもいないが確かに連絡不精なのは私の悪いところなので、言い訳が立たない。
「忘れてないらしい」
「じゃなんだ、致命的に連絡つかないマンか」
「マンじゃないだろ、そもそも」
「あーそっか! 致命的に連絡つかないウーマン」
「長い長い」
「ごめんって……夕飯の後行っていい?」
「おー、おっけおっけ」
そこで上鳴が雄叫びを上げたので、瀬呂と切島もそちらに向き直った。部屋に向かいがてらスマホを取り出し、連絡を確認すると確かに二時間ほど前に送られてきている。言い方は悪いが大した用事でなくてよかった。
夕飯のタイミングも合ったので三人で食べながら件の漫画の話をした。上鳴もサッカーを観ながら話を半分ほど聞いていたようだが、峰田と何事か予定があり、断ったらしい。あの二人の用事なんてどうせ碌でもない。
四階の廊下を歩き、切島の部屋に入ろうとしたところでなんの偶然か両隣のドアが開いた。爆豪を見て嬉しそうな声を上げる二人を無視し、障子の方を見ると常闇が出てきたので眉をひそめる。爆豪に視線を移すと、二人の誘いを存外冷静に断っている。
「飯だわボケ」
「なーんだ。またとの喧嘩見れるかと思ったのに」
「はあ?」
「いや、俺の部屋以外でやってくれよ」
「あっはは、確かに」
「うっせーわ!!」
「お、障子たちも飯? てかお前ら何やってんの」
「勉強だ」
障子が答えるので、ポケットに突っ込んだままの手を握りしめる。別に、今までもこうやって男子の部屋に来たことはあった。だが今それを目撃されてしまうと若干気まずい。本人は気にしないだろうから、余計。常闇を見るとばっちり目が合ってしまい、それもそれで不安が湧く。
「これは何の集まりだ」
「漫画読みに」
「お前らも来る?」
「いいのか?」
「いいよ、別に。ちょっと狭いかもしんねえけど」
よくないだろ。常闇が勝手に切島と話を進めており、止める権利がないことを心の中で悔やむ。ちらと障子を窺うが特に異論はないらしく片手を腰に当てて常闇たちを見ている。いや、そりゃ、来てくれて全く問題ないけれど。
「、先入ってようぜ」
「あ、うん」
「入ってていい?」
「ん? ああ、いーぜ」
瀬呂に言われ、部屋に入る。相変わらず男臭くて暑苦しい部屋だと思いながら靴を脱ぐ。
「では、夕飯後に」
「おう!」
話がまとまったらしく、聞こえないよう小さくため息を吐く。こんな部屋にあと二人も。しかも障子と常闇だ。上鳴ならまだしもこの二人はなんだかんだ勘がいいし、気を付けなければ。
「クッションあるんだ」
「かっけえだろ。お前ら麦茶でいい?」
「サンキュー」
「コップあんの?」
「三個ぐらいあんだろ、ふつう」
「そう。ありがとう」
「あいつらはプラのやつだなあ」
「これな」
「ええ……」
来慣れている瀬呂から、なんの冗談だと言いたくなるような柄のクッションを渡され、渋々それに座った。切島は飲み物を用意してくれていて、気が利くなあとその背中を眺める。というか、リビングから何か持ってくればよかったのでは。コップ、普通は三個も持っていないんじゃないだろうか。考えながらラックに並んだ漫画に視線を移す。
「瀬呂何巻まで読んだんだっけ」
「えーと、三十? は?」
「まだ十八とか」
「ネタバレしてえー」
「すんな。あ、ありがと」
「読んでいい?」
「おー」
テーブルは折り畳み式のようで、切島が少し体重をかけただけで脚がギシギシ鳴った。瀬呂が座っているところから腕を伸ばして数冊抜き取ったので、私も表紙を確認しながら読んでいない巻を引っ張り出す。さすがに今日中に全部は読み切れないだろうが、瀬呂には追いつきたい。切島はベッドに座り、通販の箱に積まれた漫画を手に取った。
「新刊?」
「いや、なんかネットで試し読みしたら面白くて」
「ふーん」
「電子で買えばいいのに」
「漫画は紙だろー」
二人が会話している間に漫画を開き、扉絵を視界に入れた。
しばらく紙を捲る音と、誰かしらの驚嘆の声、お茶を飲む音などで満たされていた空間は、瀬呂の読んでいた巻を閉じる音と共に打ち破られた。
「なーってさ」
「ん?」
巻末の次巻予告を見ていた私は、ページを捲り作者コメントを眺めながら答える。
「彼氏とかいないの?」
「……はあ?」
「えっに彼氏いたら俺殺されんじゃねえの」
「それはねえだろー、二人ならともかく」
がばりと体を起こした切島が真剣な表情で言うのを、瀬呂が流す。別に二人になったところで殺されないと思うが。漫画を閉じ、元あった場所に戻す。この手の話題を男子から振られたのはほとんど初めてなので少し驚いてしまった。
「なに、急に」
「なんか、たまに男子の部屋いんじゃん? 俺とか、こことか。他の女子と一緒だったりするけど」
「誘うのそっちじゃん……」
「いやそれはいいんだけどさあ、いたら彼氏に悪いなと思って」
「言いたいことは分かるけど……なに今更。別に漫画読んだりテレビ見たりしてるだけでしょ」
「勉強もな!!」
「それなー」
瀬呂に差し出された巻を戻し、次の巻を机に置く。言いたいことは分かるのだ。分かるけれど、どうしてもそれを気にするのはおかしい気がしてならない。
「逆に自分の彼女がこうしてたら嫌なの? どうでもよくない?」
「ちょっと嫌じゃね?」
「俺は別に気にしねえかなあ。そりゃ二人っきりになる時間が長いとモヤモヤすっけど」
「二人きりはアウトっしょ、長さ関係なく」
「アウトって、自分がやましいこと考えてるからじゃないの?」
「お前は分かってないなあ。彼女が他の男といんのはなんでよ?」
「いや知らんし」
「そりゃ暇だからっしょ。そんで?」
「はあ?」
「あ、分かった」
「切島は分かっといてよ」
「その時間を作れんのに俺といる時間は作れないのかっつってモヤる」
「正解! そんな切島くんのために俺がお茶を入れてあげよう」
「サンキュー!」
瀬呂が肘からテープを伸ばして出しっぱなしだったお茶のペットボトルを引っ張る。つい、一理あるなと思ってしまった。様々事情はあるが、確かに友人であるこいつらと遊ぶ時間はあるのに、障子とはあまり会えない。様々というか、それに関してはバレたくないだけだけれど。
「でも、彼氏できたからって友達を蔑ろにすんのは違うよ」
「まあそりゃな。それに彼女いたってこんなん言えねーよ、情けねえし」
「も意外と友達思いだからなあ」
「意外って言うな」
「お前彼氏が他の女子と二人でいたら嫌じゃないの?」
「いや、色々状況があるでしょ」
「じゃこれは? 彼氏の部屋で、クラスメイト二人呼んで」
「これを嫌って思うのはさすがに無理があるわ」
「へえー、心広いなお前」
「え、私がおかしいの?」
「なあ切島」
「いや大体分かるけど、俺も別にこれで嫌な気分になるほど心狭くねえよ」
「えっもしかして俺だけ?」
「マジで嫌なの? これが?」
「ちょっとだよ、ちょっと。モヤ、のモぐらい」
「つーかさあ……あ」
「あ」
切島が何か言いかけたところで部屋のドアがノックされ、みんなで一斉にドアを振り向く。結構最悪なタイミングではないか? これは先ほどの質問をあの二人にもするに違いない。最悪だ。最悪というか、答え自体は想像がつくのでどうでもいいが、実際に彼氏という枠にいる人間の前で私のことをどうとか言われるのは嫌だ。切島が玄関に行ったところで立ち上がり、もう帰ろうかなと考える。一巻しか読めてないけれど、精神衛生に悪い。
「こっち来れば?」
「え? いや帰ろうかな、狭いし」
「別に大丈夫っしょ、女子の意見聞きたいし」
「漫画読みにきたんですけど」
「漫画はいつでも読める」
「奥行ってくんね? 狭くてワリーけど」
「ほら」
「瀬呂だけなんだよ悪いのは」
「ええ? なんで?」
切島から奥にと言われてしまい、時間切れを悟る。普通の大きさのため息を吐きそうになるが、瀬呂がうるさそうなので堪え、渋々瀬呂の隣に座る。切島たちは誰がどこに座るか相談しており、このまま話が終わってほしいと切に願う。常闇がベッド前に、障子が私が先ほどまでいたところに座るとベッド上の部屋の主が二人と雑談を始めた。ここにいるのが上鳴でなく切島で本当によかった。安堵し、次の巻を開く。
「は?」
皆の会話を無視し、少しの間集中して読んでいたのだが、唐突に名前を呼ばれ、驚いて肩を揺らしてしまう。声の方に顔を上げると瀬呂と目が合った。
「そんな驚かなくてもよくね」
「漫画読みにきたんだっつの」
「まあまあ。お前どこまで許せる?」
「は? 何が?」
「彼氏が女子と出かけるとか」
「いや、さっきも言ったけど状況とかあんじゃん」
「てかってそういうの興味ないんだろ? 前も芦戸にめっちゃ聞かれてたけど」
「興味ないっていうか……よく分かんない。芦戸に関しては、ないものを要求してくるからあしらうしかない」
「よく分かんないって何? お前彼氏できたことないの?」
「うるさいな……今忙しいし、中学でそんなのあるわけないじゃん」
「あるだろ! お前らは?」
「……俺はない」
「まあ常闇はなさそう」
「くっ」
「普通ないんじゃないか」
「えっ障子もねえの? 切島は?」
「ねえな……なんか告ってんの見たことはあるけど」
「え、瀬呂はあるってこと?」
「一回二か月ぐらい付き合った」
「それ付き合ってるって言わねえよ」
「何故別れたんだ」
「別のやつ好きになっちゃったんだって」
「あー、だから浮気に敏感なの?」
「それはあるかも」
その経緯ならこういう状況が嫌というのも頷ける。別の人間を好きになるのに二人きりである必要はない。まあそんな女を選ぶなという話ではあるが。
「根本、相手を信頼していれば何も気にならないのでは」
「まーそりゃね。でも男って結局男じゃん?」
「だから、それは瀬呂がやましいこと考えてるってだけでしょ」
「別にお前と二人になったとこでどうでもいいけどさあ」
「おい私を引き合いに出すな」
「マジで仮にだぜ、自分がそういう目で見てない女子でも、そっちに気があったら何があるか分かんないじゃん」
「ねーわ!!」
「だーからたとえ話だっての! お前じゃなくていいよ、なんかそのへんの」
私と瀬呂がぎゃあぎゃあやっているのを他の三人は黙って見ており、たまに誰かしらが反応するだけという割と地獄みたいな状況だ。自分が好きでなくても、自分のことを好きな女子と二人きりになったら、何があるか分からない? 何があるんだ一体。
「君、まさか、女なら誰でもいいとかそういうこと言ってんじゃないよね」
「いやそこまで言わねえけど、自分のこと好きな子で、ありだなーと思ったらさ」
「自分を好きな子ならふつーに浮気じゃなくね?」
「これは男は男だって話」
「ありだなって思ったら何?! 野蛮!」
「ちょいちょい! 合意の上だから」
「ご、ごうい?!」
「お前はおこちゃまだなあ」
「喧嘩売ってんの?」
「いやーまあ瀬呂の言うこと分かるっちゃ分かるけど、大事なのは自分が好きかどうかじゃねえ? なあ」
「自分というか、双方だろうな」
「えー? 峰田たち見てたら分かるじゃん、男なんて実際あんなもんっしょ」
「人によるでしょ!」
「千差万別……」
「めちゃ好みの子から迫られたらどうすんの?」
「迫られるとはどのような状態を言うのだ」
「だからこう……常闇ってどこでキスすんの? ちょっとどいて」
「ええ、瀬呂が女の役?」
「むっ、なんだ」
「他にいねーもん」
体を後ろにやるとそこを瀬呂がまたいで常闇の方へ行った。切島がベッドから体をどかし、上でやるよう促す。なんだこれ。何を見せられているんだ、私は。帰りたい。常闇は狼狽えながらも瀬呂の言う通りにベッドであぐらをかいた。
「えーだから、こう、常闇くん……みたいな。常闇くん、あたしずっと好きで……みたいな?!」
「全然分かんねーよなんだこれ」
「やば、なんか恥ずかしくなってきた。やっぱ切島やってくんね?」
「俺が迫るのかよ! できねえの?」
「ぞっとすること言うな」
「こ、この状況で俺は何を思うんだ?」
「抱いちゃお、みたいな?」
「ダイチャオ?」
「そんでなんか手とか握って」
「こ、こうか……」
「障子ってこういうのねえの?」
「……ないわけではないが」
「ちょっと、俺の演技見とけよ!」
どうでもよくなったのか、ベッドから目を逸らしてポケットに手を突っ込んだまま切島が言った。障子の返答に心臓が跳ね上がる。
「……抱いてしまおうというのはよく分からん」
「だよなー。……はねえか。お前迫ったりしなさそう」
「迫るって何?」
ないわけではないどころではないし、迫るって何でもないし、どちらかと言えば私から迫っている、ような気さえする。当然障子の顔なんて見れたものではない。
「それ今俺が実践してんじゃん! ね、常闇くん」
「俺は何を迫られているんだ……?」
「てかが分かんねえなら誰も瀬呂のそれが正しいかどうか分かんねえだろ」
「こないだテレビで、何秒か目見れば男は落ちるって言ってた。どう、常闇。あ、常闇くん」
「……落ちるとは?」
「瀬呂くんかっこいい! いや俺が女だった。こいつかわいいな、みたいな」
「目を見るだけで思わせるのは最早個性ではないか?」
「ていうか構図が悪くない? 常闇が女の方が見た目が分かりやすいんだけど」
「ノリノリじゃん」
「関係ないからね」
「なんか瀬呂かてえよ、ドラマとかだともっとこう、自然にキスすんじゃん」
「や、さすがの瀬呂くんもね、クラスメイト男子に自然にキスはできませんよ」
「そうだけどよー」
「ダイチャオとは?」
「えー、アダルティなやつよ、そりゃ」
「あ、ああ……なるほど。それをしたくなるということか」
「そりゃそうっしょ、女から迫られたら」
「分からん……」
「まさかそれ今まで悩んでたの?」
「てかお前経験あんのかよ」
「えー聞いちゃう? ないけどね」
「やっぱり……」
「いやー、彼女できたら迫られてえな!」
「結局それかよ。彼女なら勝手にしろよ」
「彼女だからといって勝手にするのはどうなんだ」
「そうじゃなくて、なんつーの。たまにはお前から、とか」
「それ頼むのダサいだろ!」
「俺はやんねーよ!」
「俺もやらないわ」
「女子もこんなん彼氏から頼まれたら困るだろ?」
「え? 困ると思うけど、別にダサくはないんじゃないの?」
「だって自分から何もできないみたいじゃん」
「知らんし、迫られたいって思ってるならそれが全てでしょ」
「お前ねー、男の理想よ?」
「男を一括りにすんな。はあ……てか眠くなってきたわ俺」
「えーじゃあ漫画は借りてくかあ」
瀬呂は残念そうにベッドから降り、ラックに近づいた。障子が退くついでか立ち上がり、常闇もベッドを降りる。結局二人からしたらこれがなんの会で、なんのために来たのか全く分からないだろう。私にも分からない。私も切島から了承を得て四冊ほど引き抜く。男子といる時までこんなことになるとは思わなかった。本当に私の現状について掘ってくるタイプのやつがいなくてよかった、と思う。瀬呂はたぶん気になったことを言っていただけだろうし、実際私に彼氏がいると知ったところで態度はそう変わらなかっただろう。
そうして四人で部屋を出て、帰路についた。自室に辿り着いた頃にはなんだかぐったりしていて、一人になったことで遠慮なくため息を吐く。漫画を机に置き、ベッドに座ってスマホを取り出すが、誰とも連絡をとりたくないなと思いSNSを眺める。
抱いてしまおうというのはよく分からん。障子の声を思い出す。みんなの投稿が全く頭に入ってこず、ぼーっと先ほどの会話について考えながらスクロールしていく。抱き枕の横に寝転がり、ついに画面を消してしまった。だいちゃおとは。次いで、常闇の言葉も思い出される。アダルティなやつ。なんだ、アダルティなって。アダルトビデオ的な話か? 普通の男っていうのは、女から迫られたらそうなるのだろうか。迫られるとか関係なく、痴漢も含め、男性はそういうものだという認識はなんとなくある。だがそれが峰田以外のクラスメイトたちと結びつかないし、障子なんて尚更だ。男を一括りにすんな、と切島が言う。確かに。目を開ける。そういえばこの間流し見していた恋愛沙汰の記事にそんなようなことが書いてあった。キスをするとムラムラする、とかなんとか。あの時は全くイメージできずに理解を放棄してしまったが、瀬呂が言うということは、障子がそうである可能性はゼロではない。いや、それにしたってイメージはできないけれど。
九時すぎか。なら、起きているかもしれない。スマホの画面をつけ、梅雨ちゃんの連絡先を開く。こういうのは耳郎に聞いても分からなそうだ。起きているかの確認をするとすぐに既読がつき、起きているとの返信があった。電話をしないかと聞き、それにもすぐ返事が来たので、電話のアイコンをタップする。
『もしもし、ちゃん?』
「あ、もしもし。ごめんね、遅くに」
『いえ、構わないわ。ちょうど勉強の区切りがついたところだったの』
「そっか……おつかれ」
『ありがとう。急にかけてくるなんて、珍しいわね。もしかして障子ちゃんのことかしら』
「えっ、よ、よく分かるね」
『他に急ぎの用事が思いつかないわ。それに、ちゃんなら文面で済ませるでしょうし』
「そうだね……」
全部バレていていっそ感心する。
『それで、どうかしたの?』
「あ……えーと、今切島の部屋で、瀬呂とかと色々話してたんだけど」
しどろもどろになりながら簡単に経緯を説明する。男だとか、女だとかについて悩んでいるという旨も。どうでもいいだろうに、梅雨ちゃんは相槌を打ちながら聞いてくれた。
『本人には聞きたくないってことよね』
「うん……何をどう聞けばいいのかも分からないし」
『ちゃんはどう思う?』
「え?」
『もし、彼があなたをそういう風に見ていたら。そうね……キスより、もっと先に進みたいと思っていたら、どう?』
「さ、先に? うーん……」
『やっぱり、怖い?』
「こ……怖いかも。よく分かんないし」
『そうね。私も経験はないけれど、きっと恐怖を覚えると思う。ちゃんは特に、少し怖がりで、誰にでも気を張るところがあるでしょう』
「ある……」
『それを障子ちゃんは分かっているんじゃないかしら?』
「え?」
『全て私の憶測よ。でも、自分の彼女が怖がることなんて、誰もしたくないでしょ。もしかしたら、先に進むとか、そんなことまだ頭にないかもしれないけれど、あったとしても彼はちゃんを待ってくれると思うわ』
「……そうかも……」
『男だから、と言うのはいけないわね。誰しも多かれ少なかれ、性的な欲求っていうのはあると思うの。極端に少ない人とか、全くない人もいるし、ちゃんたちがそうじゃないとは言い切れないわ。ただ、そういう欲求自体は自然なことよ。そこにどう折り合いをつけていくかが問題なんだと思う』
「うん」
『障子ちゃんは私から見て、とても誠実で優しい人だわ。ちゃんの気持ちを無視して自分の欲求を押し付けるなんて思えない。……二人のことだから、とやかく言うのも烏滸がましいとは思うけれど、彼を信じられない? 彼を一番よく見ているのは、ちゃんなのよ』
「うん……」
『それから、あんまり他の人の意見に振り回されないようにね。もちろん、私の意見にも』
「……分かった。ありがとう」
『ケロ……でも、相談してくれてありがとう。嬉しいわ』
「そ、そんな。こんなことで電話しちゃってごめんね。ほんと助かった」
『役に立てたのなら何よりよ。ちゃん応援隊の一員として』
「あー、そんなんあったな……」
『そうよ。……もう悩み事はないかしら』
「うん。頭整理する」
『もしまた何かあったら、連絡ちょうだいね』
「ありがとう。ほんと、遅くにごめん。……じゃあ、おやすみ」
『ええ、おやすみ。また明日』
「また明日」
電話を切り、画面を消しながら嘆息する。梅雨ちゃんの優しさが脳とメンタルをだいぶ解してくれたので、思い切って電話してみてよかったなと思う。やはりそのへんに転がっている情報などは当てにならない。もちろん私の意見にも、と言われたのを思い出して頬を引き締める。そうか、これは私と障子の問題なのだ。あいつは結局どうなのだろうと考えるが、私と一緒にいたいと思っていることしか分からず、私もそれは同じなのでその他のことが分からない。梅雨ちゃんの言うように、臆病な女を待ってはくれるだろう。でも、それなら、私が覚悟を決めなくてはならないということになる。やっぱり? いや、そもそも進みたいだとか進みたくないだとか、実際のところよく分かっていない状態で何を覚悟しろと言うんだ。
またごちゃごちゃと考え始めてしまったので、追い払うために再びスマホを手に取り、動画サイトを開く。耳郎が好きだと言っていたバンドでも聞くかと思いながらホームに表示されているサムネイルを眺め、セルフネイルの方法を紹介しているものを発見する。
そうして動画を見ているうち、寝落ちしてしまったらしく、朝になって減りに減った充電に焦ったのだった。