海へ
※ライジング時空、捏造過多、後日談(時期的には中編本編とは矛盾しますが気にしないでください) 「浜辺・初恋・午前六時」をテーマにワンドロしたもの
悪夢から目覚め、一瞬天井が崩れているように勘違いする。飛び起きた体はじんわりと汗を纏っていて、重く息を吐き出した。
ぼーっと夢を思い返していると、ううん、と誰かの声がして肩を揺らす。起こしたかと暗がりを見るもその気配はない。スマホの画面をつけ、時間を確認して枕元に放る。体が眠れないことを訴えるので、そのまま静かに布団から出た。
さすがに五時前ともあれば街は静まり返っている。顔を上げ、澄んだ空に浮かぶ星を数える。オリオン座だ。ぼんやり眺め、少々悩んだのちに私は歩き出した。
ヴィランによって破壊しつくされた島も、ようやく元に戻りつつある。日々復興作業を手伝っている体は(それこそあんなことがあった後で)自覚なく疲れを貯めているようで、ああして飛び起きたのも一度や二度ではない。こんなことではいけないと思いつつも、やはり皆の傷ついている姿だけは見慣れることができず、毎回思い出してしまう。今回は特に、そう、車椅子に乗せられるほどの大怪我……。
「!」
「え……」
呼ばれた名前に勢いよく振り向き、走ってくる彼の姿を認める。
「どしたの」
「お前こそ」
「起きちゃって」
「大丈夫か?」
「うん……君は」
「同じようなものだ」
「そっか」
隣に並んだ彼にほっとする。何を言おうか迷って、結局口を噤み、それを数回繰り返す。同じなのかもしれない。もしかしたら、彼も、いつも悩んでいるのかも。宿から私が出ていくのが見えたのだろうか、と思う。
「あのね」
「ああ」
「ありがとう」
「……ああ」
「歩く」
「そうだな」
手を差し出され、思わず見上げる。目が合うと途端に私は焦ってしまう。
「嫌じゃないよ」
「分かってる。俺から繋ごう」
「え?!」
「……いいか?」
「う……うん」
中途半端に浮かせた手がとられる。何度かこうしているはずなのに、いつも私は困惑する。今までを思うとそれも当たり前なのかもしれないけれど、彼をも困らせているのだろうと思うと心苦しい。数秒の逡巡を挟み、歩く、とまた口に出すとああと応えた彼が手を引いてくれる。確認するようにしっかり握られたそれを見て、額を押さえる。よくないなあと思う。
無言のまま適当に歩くと、やがて海が見えた。緩やかに騒めく海面がやけに胸に迫ってくる。胸の圧迫感を手に伝えてしまったせいで、彼がこちらを窺った。手の力を、緩めていく。
「大丈夫」
「……分かった」
未だ瓦礫の積み上げられた港は否が応でもあの日を思い出させる。潮風が髪を揺らす。もっと何か、出来ることがあったんじゃないか。そんなこと皆思っているはずだ。だからこそ、誰も口に出さないというのに。
辿り着いた海の近くで、コンクリートの崩れた部分に足をかける。空に煌めく星々を見つめ、口を開いた。
「障子がさ」
「ん?」
「みんなもだけど」
「ああ」
「ほんとに、生きてて……よかった」
「……そうだな」
思えばあれからこうして二人で話す機会はなかった。こんなことを言ってしまえる相手もいない。片手で目元を覆い、そっぽを向く。
気づけばどうしようもないほどに溢れ出した涙をなんとか服の袖に押し付ける。それを見ているんだかいないんだか、障子は何も言わなかった。ただ黙って泣かせてくれる人を私は他に知らない。いるのかもしれないけれど、今は知らなくていい。感情ってのは重すぎる。だから恋などするべきでなかったのだ。あの頃の私は何も分かっちゃいなかった。ただ馬鹿みたいに彼に憧れて、溺れ、夢を見てしまった。
「しょうじ」
「うん」
「ごめん、ほん、と、……はあ、ダメだな、もう、ごめんね……」
「……」
久しくここまで涙を流すようなことはなかったのだと気づいた。一人きりで流すそれは寂しく、静かだ。私は今、喚いているのだろう。
「きみがいなくなるのが、こわいの。わかってるよ、わかってる……だから、ごめん」
「……お前が……謝る理由は俺には分からない」
「うん……」
「俺も怖い」
「うっ、ん」
「だから、お前がいなくなってしまわぬように、努力も惜しまない」
唇を噛み締める。同じ痕を辿り、涙が顎まで伝って首に流れていく。障子は強い。優しくて、他人と向き合うということを知っている。彼の手に少し力が籠った。嗚咽でどんどんうまく言葉が出なくなって、ただぼやけた視界で足元を眺めることしかできない。
「今の言葉も、これから言うものも決して慰めるためだけのセリフではないが」
「……ん」
「俺自身の話をするとすれば、初めて他人をここまで想った」
「はっ……わ、わたしだってそうなの!」
「……ありがとう」
「はあ、こ、ちらこそ」
ひっくり返りそうになる声を、胸元を押さえることで落ち着かせる。ようやく止まりかけていた涙を強引に拭い、それから言われたことを整理していく。勢いでとんでもないことを言ってしまったし、言われてしまった。慰めてくれたのだろう。こんなつもりじゃなかったのに。頭を傾け、なんとなく角を彼の腕に刺した。
「なんだ」
「なんでもない」
「痛くないぞ」
「痛かったら困る」
「お前がそうしたいのなら、多少の痛みは構わん」
「もー、やだ。障子が痛いのやだ。いじわる」
「今のはそうではないが、意地の悪いこともたまにはする」
「しないでよ」
「まだしていない」
「うそだ」
「嘘ではないが……俺はそう出来た人間じゃないからな。意図せずお前が怖がるような行動をとってしまうこともあるだろう」
「……うん」
「だが、お前を傷つけることはしない」
ようやっと角を離し、そのまま俯く。そういう人なのだ。毎度私が嫌がっていないか気にしてくれているし、機微をよく見ている。いつも。
「ありがと」
「こちらこそ」
それからしばらく、二人で海を見つめていた。きっとそれぞれにそれぞれの想いがあった。ざぶ、と波がコンクリートにぶつかる。朝日がいつの間にか頭を出していて、時間の経過を知った。
「何時だろう。スマホ置いてきちゃった」
「ああ……六時になるところだ。そろそろ戻らなければ」
「うん」
「……ゆっくり歩こう」
「……うん」
靴先で地面を叩く。朝日と、海のコントラストを視界いっぱいに受けながら、息を吸い込む。手を離す。彼の背中に周り、筋肉質なその体にぱっと、一瞬、抱きついてみる。すぐ彼を見上げると表情から驚いているのが伝わって、嬉しくなってしまう。
「あはは! 帰ろ」
「……ああ」
走り出した私を彼はゆったりと追いかけてくる。これがいつまでも終わらなければいいのに。そのうち、疲れて走るのをやめる。彼が隣を歩く。光も私たちを追ってくる。一度振り向いて、それから私は、ちゃんと、歩き出す。