どこにもない柩の匂い
「あ、つむじ」
見たままを口に出すと、男はあからさまに不機嫌そうな顔をした。盛大な舌打ちも同時にもたらされ、笑ってしまう。
「久しぶり」
「ついてくるな」
「目的地一緒じゃん」
「お前は死地行きね」
男の罵倒を皮膚に浴びながら、大きく伸びをする。最近、死ぬのって本当に簡単なことなんだと痛感している。どうやらそこらへんの感覚がこいつとは違うらしいとも。すぐ傍を通った自転車を目で追って、その風のせいでばらけた髪を一つに結んだ。
宿が近かったのだろうか。どうせ後で会う予定だったとは言え、偶然の再会に気分が上がり、もう一度男のつむじを見る。
「ねえ」
「私お前と喋る趣味ないよ」
「知ってるよ。ご飯食べてこ」
小さな顔を覗き込めばやはり眉間にはくっきりと皺が刻まれている。煽れば煽るほど機嫌が降下していくのが面白くて、前はよくどうでもいいことをぺらぺらと述べたものだった。この男の機嫌の悪さには底がない。一緒に食事をするのは久しぶりだし、何度か行った中華料理屋にでも行こうか。服が汚れる前に。
「あ、当たり」
呟くと、男の視線が私の手元に向いた。今しがた手に入れた財布には、大量の紙幣が詰まっている。いち、に、さん、し。こんなに現金を持ち歩くなんておかしいなと思ってから、銀行を通り過ぎたことに気づく。男はもう興味をなくしたようで、先ほどから掏っていた数人分の腕時計を私のポケットから取り出して眺めている。
「中華」
「いいよお」
私も私で確認を終え、財布を尻ポケットにしまう。いつまで経ってもこいつの故郷がどこだか覚えられないけれど、とりあえず中華料理が好きらしいことは分かる。それに、こいつだって私のことをその程度にしか認識していないだろうから、何も構うことはない。男の手から価値のなさそうなものが放られ、アスファルトにぶつかった。
アジトに着くと、ほとんどのメンバーが揃っていた。それぞれの顔を見ながらはち切れそうな腹をさする。ちょっと食べすぎたかも。本を読むシズクの隣に腰掛け、何缶目かのビールを呷る。フェイタンはいつの間にか遠くの方に行ってしまっていたので、食道の熱さを感じた。
「くさい」
「ごめん。ねえ何食べてきたか当ててよ」
どれが臭いのか分からないが、たぶんビールだろう。シズクは黙ってページをめくる。
「ねーってば」
缶を揺らしながら迫ると、ちらともこちらを見ずに、ため息すら吐いてくれず、彼女は答えた。
「からいやつでしょ」
「分かる?」
「だって、フェイと一緒に来たから」
「そうだ聞いてよ、あいつ、つむじがきれいなの」
「ふーん」
「聞いてる?」
「うん」
「きーてない」
「うん」
「うんじゃないよお」
彼女の横顔にこれ以上は何も答えてくれないだろうことを悟り、酒臭い息をはきだす。
作戦の説明を聞きながら、夢のことを考える。残酷で、逃げ出したくなるような悪夢のこと。でも時々、目を覚まさない私を優しく受け入れてくれるそれに、救われることもある。
カラン、と、空き缶が地面にぶつかる音が響く。
視線をこちらにやった数名に謝罪を向け、手から滑った缶を拾い上げた。幸い話は終わっていたようなので、そのまま立ち上がり、伸びをする。
全てが終わった後、アジトに戻って一杯やるというのを断って、ぼんやりと歩き出した。どうもよくない酔い方をしたらしい。閉まっているスーパーからくすねた缶ビールの中身は、まだほとんど残っている。
濁った視界で、馬鹿みたいな街を認識する。暗くて、人通りのない、消えそうな街灯がぽつぽつある道。電柱に肩がぶつかり、そのまま崩れ落ちる。膝が痛い。頭も。
お前の爪を一枚ずつ剥がして、歯を一本ずつ抜いて、指を一本ずつ折っていく、夢。
「おえ」
電柱の根元に胃の中身を吐き出し、マーキングみたいだなと思う。ひとしきり吐いてしまうと幾分すっきりするものの、酔いをより強く感じる。いつものことだけれど。
男の家に辿り着き、どんどんとドアを殴る。
「おいーおいってばぁ、いるのは分かってんだぞ!」
返事がない。もしかして、蹴破られるとは思っていないのだろうか。
「開けてよぉ、フェイ」
ため息を吐き、ドアの前に座り込む。この野郎、こんなくだらないことのために頑張りたくないっていうのに。頭をドアに押しつける。寝てしまおうかと思っていると、奥に留まっていた気配がこちらに向かってくるのが分かった。直後、とんでもない速さで開いたドアに体を押され、コンクリートに倒れ込む。
「ええー……」
横になった状態で呟きながら、咄嗟に閉じた目を開ける。優しく開けてくれてもいいじゃないか。渋々体を起こすが、そこにいたのは見慣れた黒ずくめのチビではなかった。
人間。の、手が、ゆっくりと男に向かって伸びる。
「チッ」
舌打ちと共に飛び散った血が、呆然とする私の顔にかかる。
「だ、だれえ?」
私の問いに答えず崩れ落ちる体。スローモーションだった映像がまた元の速度に戻った。男だ。見覚えはないが、賞金首ハンターか何かだろう。尾けられていたようだ。これだから酔っ払いは。「あ!」そのまま中に戻ろうとする男の足を掴もうとして、それに額を蹴飛ばされる。わざとなのか、先ほどドアにぶつけられたのと同じところだ。
「いったあい」
「お前、ホンモノの愚図ね。いかい死んだ方が世のためなるよ」
「助けてくれたのに?」
「は? 頭でもうたか?」
「蹴られた! でもありがと~」
「ハエでももと知性あるね」
「ほら見てこれ。私のお、コレクションの、たっけー酒」
閉められそうになるドアを肘で支えながら立ち上がる。ぼこ。男の手に力がこめられたらしく、ドアが肘の形に歪む。
「今日はいろいろ助けてもらっちゃってえ」
「お前、頭にウジかてるね」
「お礼に酒持ってきたからさあ、飲もうってばあ」
「爪と歯、どちからがいいか、選ぶいいよ」
「あ」
結果的にある程度愉快そうに答えていた男は、私が声を発するより先に眉をひそめた。倒れているやつの仲間かは分からないが、数人の気配が近づいてくることに気づく。
「今日パーティかなんか?」
「お前の脳の話か?」
「えー! 一人で片付けんの?! ここまで這ってきたのに?!」
「馬鹿もここまでくると泣けてくるよ」
「酔っぱらってんだけどお」
「は、ご愁傷サマね」
「サイテー!」
どちらにしろ、片付けなくてはならない。閉まったドアを前に大きくため息を吐き、酒を呷る。終わったら絶対に押し入ってやると決意し、飛んできたナイフを叩き落とした。
「ちょっとつよかったあ」
「お前みたいな間抜けにやられるなんて、気の毒になるね」
「ギャハハひど、ッいゲホ、ガッ、は、はあ」
我ながら汚い咳をするなと思う。酒で焼けた喉を潤すために、また瓶を持つ。頭上の男はどことなく満足そうに、また一口、缶ビールを飲んだ。
仲間でもなんでもなかったらしい賞金稼ぎたちは、そのために微妙に連携のとれていない攻撃をしかけてきた。ああいうのは苦手だ。戦うならタイマンか、チームワークのしっかりしているやつらがいい。
テーブルの脚にべたりと頬をつける。椅子くらいもう一つ置いてくれといくら言っても、狭量な男が聞くわけがない。私がべちゃくちゃ喋って、男が理不尽に罵倒してくる、いつも通りの応酬が繰り返されたあと、不意に沈黙が訪れた。不意にも何も、私が黙れば当然訪れるものなのだけど。
別に、血を見るのが好きなわけじゃない。人の死にも興味はない。人は死ぬべくして死ぬのだし、それがたまたま私の手によるものだっただけだと、常々考えている。なのにどうして、よりによってこいつを殺す夢を、何度も見るのだろう。しかも主題は拷問だ。スパイ映画の中心にすらなれない、悪趣味な映像が、淡々と流れる夢。それを不快とも思わない自分を反省した方がいいのかもしれない。いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げ、私よりも小さい足の爪を見る。
「フェイタンさあ」
男は相槌も打たず、ちらと視線を寄越す。
「私、あんたを殺せると思う?」
「ハハ、やてみるか? お前が死ぬだけね」
確かに。乾いた笑いが喉から漏れ、続く言葉を聞いていられない。役立たずの私では、こんなに強いやつを殺すことなど叶わないと分かっていた。
「最近ねえ、人って簡単に死ぬんだなっておもうんだよね、つくづく」
「……」
「でもフェイは死なないね……」
「お前に殺される、ないね」
「拷問って楽しい?」
「……命乞いは無様ね。バカバカしくて、愉快よ」
「わるいかお」
「ハッ」
楽しそうというより、それこそ愉快そうに笑い、男は缶を飲み干した。
「楽しいね」
「は?」
「アッハハ、あー吐きそ」
重い体に鞭打って立ち上がり、私はトイレに向かった。フェイタンに殺される日はたぶん来ない。たまたま、こいつの手の中で死ぬことはあるかもしれないけれど。
どぼどぼと落ちる吐瀉物を見ながら、初めて一緒に人を殺した日のことを思い出す。少しくらい認めてくれているんだろうか。そうだといい、でも、そうでなくても構わない。私が蜘蛛であることを許されている限り。
あいつが蜘蛛という呪縛から解き放たれる時、もし私が傍にいたら、楽に殺してやれるくらいの力が欲しいな。拷問なんて回りくどいやり方はやはり私の好みではない、と思う。鼻を啜り、咳き込んで、それから、現実のバカバカしさに笑ってしまった。
あすか様、この度はリクエストをお送りいただき、ありがとうございます。フェイタンがこれで正しいのか分かりませんが、恋愛感情ではないけど嫌いじゃない感じを精一杯書きました……ご査収ください。リクエストありがとうございました!
title by エナメル/200709