雨夜の星が落ちきったとき

 破壊と暴力の権化。獣と言うには強大なその魂が、無慈悲に審判を下すさまを見る。何故かこういう時組まされやすいが、肉体が強いわけでない私からするとありがたい話だった。ただ、ノブナガほどではないにしろこいつの力を引き出せるのも事実である。男が返り血を拭ったところで私のケータイが鳴り、他の団員も終わらせたのだろうことが分かった。
 私たちは運命という不確かなものに導かれているように思う。私たち。流星街の住民であり、幻影旅団であり、ひいてはウボォーギンと私である。
 仕事を終えた私たちはその足でアジトに向かった。男は戦い甲斐のない相手だったことを嘆いているが、こんな化け物と対等に渡り合える人間が存在するなら連れてきてほしいものである。相性の悪さで負ける可能性はあれど、純粋な殴り合いでこいつに勝てるやつなどいないだろう。
 考えていると不意に男が拳を目の前に突き出してきた。
「手合わせしろよ」
 獰猛という言葉が一番正しいだろう。子供のようですらある瞳から目を逸らし、止めてしまった歩みを再開する。
「嫌よ。そんなの、無駄だわ」
「無駄じゃねェさ」
 男はそう言いながら、追いかけてくる。無駄なのだ。ため息を吐き、ポケットに手を突っ込む。
「ノブナガにでも頼めばいいでしょ」
「相性の悪い相手だろ?」
「向上心があっていいことね」
「いいじゃねえか、死ぬわけじゃねえ」
「ふうん」
「あ、酒盗ってこうぜ」
「そうね」
 どう返したって意味がないとは分かっているのに、つい言い返してしまう。嫌味ったらしい相槌を意に介さない男とは、会話の相性もまた、悪いのだった。

「ノブナガ」
「お? おォ、。なんだ、あいつんとこ行けよ」
「酔ったウボォーは面倒」
「ハッ、だな」
 今回お留守番だった男は、どうやら私に嫉妬しているらしい。直上型と言うべきだろう、我らがリーダーなどとは正反対の性格をしている。だからこそウボォーと仲がいいのだろうけれど。
 男の隣に腰を下ろし、ビールをひとくち、口に含む。酒を飲んだところであいつみたいに楽しくなれるわけじゃない。昔から飲まされていたせいか強くなってしまったが、特段飲む必要も感じなかった。たっぷり時間をかけてぬるい液体を喉に流し込む。
「おめェが来てよかったのかもなあ」
「ん?」
 意図が分からず、横顔に目をやる。その目はみんなの中で踊る男を映しており、今日は泣きたい日なのかな、と思う。気分の上下が激しい男である。
「気に入ってんだろうな」
「……ウボォーは、仲間想いよ」
「そうじゃねェ。……そりゃ、そうだけどよ」
「じゃあ、どういうこと」
「あいつがお前を気に入ってんならいいってこった」
「嫉妬」
「気色ワリーこと言うんじゃねえ」
 来てよかったというのが、流星街になのか、旅団のメンバーとしてなのかは分からない。缶に描かれた星を見る。
「……私は、ここに来たくなかった。みんなのことは大切だし、最適解なんだと思うけど」
「……」
 視界の端で男の右腕が上がり、酒を飲んだことが分かる。
「死を予感することのない生き方が羨ましくなる」
 そう口にして、すこし霞む視界にみんなを収める。時々、外の世界を眩しく感じてしまう。生まれたところさえよければ、私はこんな風に生きなくてよかったはずだと、思ってしまう。こういう生活もいつからか楽しくなったけれど、それはそれとして。男のため息。
「おめェは弱っちいからな」
「ふうん」
「テキトーな……。事実だろ?」
「あんたとは五分。なんでもありなら勝てるし」
「言ったな?!」
「おおいノブナガ!」
 ふっとかかる幾分柔らかい声に、顔を上げる。
「おー」
も、飲めよ!」
「飲んでるよー」
 楽しそうなあいつを見て楽しめるだけいいのかもしれない。軽く返事をした隣の男と私はほとんど同時に酒を呷る。それから、そのことに気づき、顔を見合わせて笑った。私たちは、ウボォーギンへ向ける、愛に似た羨望で繋がっている。



 ある時、クロロと話す機会があった。個人で請け負っている暗殺任務をこなし、シャワーを浴びに自宅へ向かっていた私の目の前に、彼は突然現れた。そうして、驚く私を余所に一言、「今日の作戦には参加しないのか」。表情の読みづらい男ではあるが、別にわざわざそれを聞くために来たわけではないことくらいは分かった。実際私はすっかり忘れていたので、助かったけれど。
 シャワーを浴びる旨を伝えると、それも承知の上だったようで、近くの喫茶店名を告げて去っていった。行かなくても、まあ、いいのだろうが、どうせ集合場所までの道中にある。身なりを整えてそこに向かい、窓際の席で本を読む男を発見した。
 何度か入ったことのある店ではあるが、窓際に座るのは初めてだった。夕日が机上の一輪挿しを照らしている。店員にブレンドを注文してから、一度ケータイを取り出し、重要な通知がないことを確認する。それを置き、窓の外を見る男に視線を向けた。
「なにか用事?」
 用事などないのかもしれないと、口に出してから推測した。男の目がこちらに向けられる。その間で、推測が正しいことを理解した。綺麗に組まれていた手が解かれ、カップに伸びる。
「来ないかと思ったよ」
「来るわよ」
「無駄なのにか」
「不快じゃないもの」
「そうか。それはよかった」
 来ないと思っていたのだろうか。まさか。男がカップに口をつけたところで、ブレンドが運ばれてくる。不自然な静けさを持つ人間だと思っていた。ずっと。昔──私たちが仲間になる前は、こんな風ではなかったのに、何故だかずっと。この人は変わってしまったのではないと信じたいだけなのだろうか。親指の腹で、カップについた口紅を拭う。
「何を話したらいいかしら」
 じっとこちらを観察している(風であって、どうだかは知らない)闇のような瞳を見る。底知れない恐怖。それこそ昔、私はこの目がとても苦手だった。
「なんでもいいさ」
 男が丁寧に微笑むので、肩を竦めた。目的がないなら会話を楽しむほかない。話すことが特別得意だとは思わないが、クロロと話すのは楽しいし、二人きりで話す機会は貴重だ。

 ぽつぽつと、最近のことだとか、盗品の如何、今日行く古書街についてを言い合った。クロロもそうかもしれないけれど、私は話している時、脳のどこか、あるいは中心で、関係のないことを考えている。私たちの間にはたびたび、そのせいで沈黙が落ちた。もちろん、言葉をまとめている時もあるし、相手がどうだかは知らない。
「後悔しているか」
 終わりの時間が近づいてきた頃、男は不意に言った。
「なにを」
「なんだろうな。お前は、いつも後悔しているように見える」
「……後悔」
「諦めたくないんだな」
「そう……そう、かもね」
 はじめて、叫び出したい衝動に駆られた。何を諦められないのか、何を後悔し続けているのか、だから──なんのために生きているのか。どうして必死に生き方を覚えたのだろう。死にたくない。私は、諦めたくない。それが生まれ持った目標のように思えて、混乱してしまう。みじめだな……。大きく息を吸い込み、ゆっくり、吐き出していく。
 不公平を意識できるようになったのはいつだろう。何も知らなければ無駄な感情を抱く前に死ぬことができたのだろうか。どこかで見た、学生鞄にぶら下がるキャラクターもののストラップ、電話をしながら歩く女の笑顔、少し隙間のある繋いだ手。
 仲間の顔と、殺される人々の涙。
「ねえ」
「ん?」
「一般的な人たちを羨ましいと思うのは、いけないこと?」
「それを決めるのは俺じゃない。現状、問題はなさそうだけど」
 クロロらしい。つまり私自身がそこに罪の意識を抱いているかどうかが問題なのだろう。無責任に感じる返答ではあるが、その程度の質問をしたのが悪い、気もする。
 私は一生、この憧れにとらわれ続けるのだろう。死を予感しない生き方。澄ました顔でコーヒーを飲みながら、殺した人間のしわを思い出す女などには、どうしたって手に入れられないものなのだ。
 視線を上げ、男の目を見る。あの獰猛な獣とは似ても似つかない精悍な顔つき。
「じゃあ、もうひとつ」
「どうぞ」
「愛を知ってる?」
「驚いたな。からそんなことを聞かれるとは」
「くだらないでしょ。でも、興味があって」
「なるほど」
 男は納得したように言い、残っていたコーヒーを飲み干した。
「感情ははっきりと区別できるものだとは思わない。……答えづらいな。自分や相手の中の感情がそこに当てはまるか否か、考えたところであまり意味もないように思うが……」
「そう……」
「与えることこそ愛だという言説はある。一つの基準にはなるかもしれないな」
「……ふうん。無駄なこと聞いたわね」
「フ、無駄か。じゃ知らないってことにしておくよ」
「ふふ、そう? ありがと」
「どういたしまして。ウボォーと何かあったのか?」
 男の口から滑り出た名前に、思考が固まる。
「な……なんですって?」
「冗談。そろそろ向かおう」
「じょ……じょう、だんじゃ、ないわよ」
 男はそれこそ冗談みたいに言って、伝票を手に立ち上がった。慌ててポケットにケータイをねじ込み、男の背を追う。愛など誰も理解できるはずがない。ああいうのはたぶん、私たちみたいな生き方をしている存在にとっては与えられる可能性が限りなく低い。正解も分からないので、まあ、考えても意味はない、のだけれど。
 店を出、すっかり暗くなった空を一瞥する。
「ねえ」
「なんだ」
「何もないわ」
「ん、ああ」
「からかっただけなのは分かってるけど、答えてなかった」
「見りゃわかるよ」
「ムカつく男ね、ほんと」
 悪態をつくと、男は声を出さずに笑みを浮かべた。それから、私たちは足を踏み出す。今日もおこなわれる、私たちのための戦いへ。



 アジト前に座る巨体を見て、今年初めて会うなと思う。もう、七月も後半だというのに。元々全員で集まるようなことは少なく、仕事の向き不向きに合わせて面子を集めていたので、派手で構わない場合にしかウボォーギンとは顔を合わせない。作戦に参加せずとも飲みにいったりだとか、お留守番をしたりだとかはあるのだが、今年は暗殺の仕事が忙しかったせいかそれもなかった。
 数年経って分かったことだが、私とやつとは向いている任務が違いすぎる。どちらにも向いているのは大人数の相手くらいか。
 足音で気づいたらしい男がこちらを向くので、思わず足を止める。いつだったか団長──と呼ぶのにも慣れてしまった──と話したことが過ぎったせいだ。あれから半年強経っているが、余程衝撃的だったのだろう。不審に思われないためにまた歩き出し、仕方なく近づく。
「おう」
「みんなは?」
「来てねえやつの方が多い」
「中入らないの?」
「的当てしてんだ」
 男が指さした先にはゴミの山がたくさんあった。よく見るといくつかは山頂部に木の棒が刺さっている。男は弄んでいた石か何かをコインをはじくように飛ばした。それが真ん中の木に当たるのを見てから、視線を男に戻す。
「座っていい?」
「お、やるか?」
「やらないわよ」
「んだよ、ノリ悪ィ」
 転がっていたコンクリートの塊を男の隣に移動させ、そこに座る。見ていると男はまた石を飛ばしたので、楽しいのだろうかと思う。特に楽しそうでもない。ただの暇つぶしなのだろう。
 幼い頃、ひたむきにこいつに憧れていた。私からしたら体が大きいというだけで憧れの対象だったのだが、その上メンタルも打たれ強く、とにかくタフだった。
 一度だけ、抱きしめられたことがある。敵から庇ってくれただけで、特になんの証明にもならない行為であるが、その時感じてしまった安堵を、私は忘れることができない。
 タフといえば、もちろん今でもそうだ。私も強くなっているはずなのに、こいつがいると錯覚なのではと思ってしまう。届かない。そういう意味では、一般人への憧れと近いものがある。
 無駄な思考を一旦追いやり、背筋を伸ばす。
「元気にしてた?」
「あ? じゃなきゃいねーよ」
「そうよね。風邪とか引いたことないでしょ」
「引かねェな」
「とりあえず、生きててよかった」
もな」
「え?」
「あ?」
「……ありがとう」
「はあ? 何が?」
「心配? してくれて」
「そりゃテメェ、テメェは俺よりよっぽどよええんだから、死んでるかもしれねえだろ」
「ウボォーからしたらみんな弱いでしょ」
「だけどよォ」
 男は的当てをやめ、両手を後ろについた。なんだかよく分からない瓦礫の上に体重をかけるものではない。
を守んのは俺の役目だろ? 死なれちゃ居心地ワリーな」
「……いや、守られなくても生きていけるけど」
 一瞬何を言われているのか理解できず、間を空けてしまった。私を守るのがこいつの役目だったとは初耳だ。仕事の時に立ち回りがそういう感じだっただけで、私は私で自分の身くらい守れている。どういう立場から言っているのだろう。
「知ってるか? 俺ら賞金かけられてんだぜ」
「知ってるし、もう何人か殺したわよ」
「お前んとこに来るってこたァ舐められてんだろうが」
「分かってるっつの。あんたも私を舐めてんでしょうが」
「舐めてねェ! 俺よかよええっつってるだけだ」
「それは認めるけど、守るのが役目ってのは何よ」
「ずっとそうだったろうが」
「仕事で組んだ時に、庇ってもらったこともあるかもね、程度でしょ。やめてよ」
「んだあ? シンパイシテクレテっつってたくせによ」
「あー、心配されんのは嬉しいわよ」
「嬉しいんじゃねえか」
 話の流れを理解しているのか、得意げに口角を上げた男に、ため息を漏らさずにいられない。
「複雑なのよ、女心って」
「女心だァ?!」
「は? 何その反応」
「お、やってんな」
「バカとバカの見世物ね」
「遅刻しといて好き勝手言ってんじゃねェ!!」

 なんだか疲れてしまって、私は作戦終了後すぐにアジトを出た。血が腕にこびりついて取れない。ここまで返り血を浴びることなんて普段ないし、浴びてもすぐに拭っているのだが、今日はそこに気を遣えなかった。昔ほどではない上周りには気づかれていないだろうけれど、気分の上下で戦い方にムラが出るのは本気で直さなくてはならない短所だ。
 帰宅後酒を飲んだせいで、どうやって眠りについたのかあまり覚えていない。寝酒程度のつもりだったが、弱くなったのかもしれない。
 やけに深い眠りから覚め、夢と現の境でぼんやり天井を見つめる。そうして、あいつに会わなければそれだけ飲まなくなるということに気づく。なんの問題もない。ないけれど。目を閉じ、ため息を吐く。枕元にあるはずのケータイがいくら探っても手にぶつからず、仕方なくまた目を開ける。床でぴかぴか光っているのがそれだ。もう一度、先ほどよりも深く息を吐いてケータイを救ってあげるが、そこに並ぶ幼なじみたちからの着信履歴を見て、また床に捨ててしまった。ごめんね、ケータイ。



 さらに二年が経ち、私たちにかけられた賞金はつり上がっていた。それとは別に暗殺事業も頻度は落としたものの変わらずおこなっているため、逆恨みやら腕試しやらで襲われることも少なくない。そうして日々命を狙われていると余裕が生まれて、もうほとんど恐怖など感じなくなってしまった。湯船から腕を上げ、血も泥もつかない肌を見る。
 それから私は、みんな、流星街出身の幼なじみたちのことを、より強く仕事仲間として認識するようになった。一年前の大規模な作戦が私をそうさせたのだろう。
 バスルームを出て、先日依頼人から贈られた鏡に全身を写す。仕事が一段落した日にはよくこうして自分を見る。生きていくために鍛えた体。無駄な肉のほとんどないそこでただ一つ違和感を放つ蜘蛛の刺青。それを見る度心臓を掴まれた心地になるのは何故なのだろう。
 ペットボトルの水を飲み干し、仕事の連絡に目を通す。緊急性の高いものはなく、ケータイをテーブルに置いて肩にかけていたタオルを洗濯カゴに放り込んだ。
 そうして適当な服を纏い、故郷を訪れるために家を出る。未だに連絡手段を持たないあの男がいることを期待して。

 アジトのあたりを探すも男の姿はなく、少し落胆する。この広い街で人探しは無謀だ。転がっている瓦礫に座り、ぼーっとゴミの山を見る。前にここで男が的当てをしていたことを思い出して試しに小石を投げてみるが、少し先の山に埋もれただけだった。
 汚れることも構わず仰向けになり、汚い空気のせいでくすんだ夜空を見上げる。ぼやけた小粒のきらめきたち。膝を立てるとヒールがゴミ屑を巻き込み、じゃりじゃりと音がする。
 流星街──何を捨てても許される場所。
 誰だかは知らないが、ここをそんなロマンチックな名前で呼び始めたのは何故なのだろう。空気が汚くて星なんて見ていられない。アジト周辺は比較的マシだけれど、目を閉じれば鼻が曲がるほどの臭気をより強く感じる。それから、誰かの足音……。
?」
 わざと名を呼ばれるまで待ってみる。ゆっくり目を開けて、男のとぼけた顔を認識した。
「おはよ」
「起きてただろ。蜘蛛か?」
「ううん。来てみただけ」
「珍しいなァ」
 言いながら男は、暇なのか私の斜め前あたりにあぐらをかく。大きなあくび。
「何してたの」
「飯食ってた」
「ふうん」
「なんだよ、辛気臭ぇツラしやがって」
「まだ寝ないなら、飲もうよ」
「いいねえ。盗みにいくか」
「うん」
 現金の入手方法が分かってからは個人的な盗みをすることが減った。最近は特にそうで、だからいつかぶりの盗みだった。それもこいつとだった気がする。現金が便利であることに変わりはないが、それもこの社会の一部として生きていくためであって、そんなことをせずとも生きていけるこの男には関係ないのだろう。

 酒屋を襲い、酒を手に入れた私たちはそこから少し歩いたところにある公園に立ち寄った。街灯がぼんやりと照らしているベンチに腰掛け、缶ビールを袋から取り出して開ける。
 男の横顔を見て、ノブナガとの会話を思い出す。私はあまり仲間想いな人間ではないように思う。みんなに死んでほしくはないが、すぐに受け入れる自信がある。それだけで仲間想いでないとするのも極端かもしれないけれど。
「お前匂い変わったな」
「え? ああ、香水かな……最近買ったのよ」
「よくやるよなァ」
「何が?」
「そういうの。パクもつけてんだろ」
「あの子はつけてるね。身だしなみみたいなものでしょ」
「身だしなみい?」
「香水つけてる女は嫌なの?」
「どうでもいいが、お前のは嫌いじゃないぜ」
「そう。ありがとう」
 身だしなみ云々を言ったところでどうにもならないので、無理やり会話を終わらせる。こいつがそんなことを気にしていないことくらい見れば分かる。嫌いじゃない、ね、と思うが口には出さず、缶の中身を減らしていく。
 ふと空を見上げると、星々を雲が隠しているのが分かる。
「雨降るかな」
「しばらくは降らねえな」
「野生的ね」
「そうかあ? 分かるだろ、においで」
 うん、と曖昧に答え、缶を揺らす。あめのにおい。どこかから漂う湿った空気と、やがて満ちる濃い草木のにおいだ。
 あんな環境で生きているのに野生を保ち続けている男のこと。私はこうはなれない。なれなくていいが、やはりこの男への憧れはいつまでも絶えず、いちいち気にしてしまう。
 足元を小さな虫が歩いている。強大な存在に理不尽に殺されるばかりの生について、何を思うのだろう。もし脳が機能しているのなら。理性や、理屈というものが存在しているのなら。
 男が何缶目かのそれを呷り、ぐしゃと潰してそのへんに転がす。それに合わせて私も缶の中身を飲み干した。

 男があからさまに酔っ払う頃には、こちらも酔いを感じていた。他愛のない話をした。男は、私と二人で飲むのが久しぶりだと気づいていないらしかった。どうでもいいことは忘れてしまえる質だった。
 私たちは故郷への道を歩きながら、何度か酒を盗み、話しながら飲み続けた。
 そこに辿り着いた時、私はようやく雨の気配を感じた。私が気づくのだから男はとっくに気づいていただろう。降りそうだねと言うと、朝までは降ると答えた。テレビの天気予報より正確そうな言葉に、思わず笑う。
「勝負しようぜ」
 ゴミ山の上の方から、男が言う。「嫌よ」睫毛に水滴がかかり、瞬きをする。手を伸ばすと、男はその手を迷いなく掴んでくれた。
「お前負けず嫌いだよなあ」
「負ける勝負はしたくないの」
「ヘッ、そうかよ。じゃ俺の不戦勝だな」
「反則」
「乗らねえのが悪い!」
「うわっ」
 突然、軽々と持ち上げられて声を漏らす。引き上げてもらった後も離されない手を不思議に思いながらも会話を続けていたが、その行為で理由が分かった。男の腕に座るように抱き上げられ、肩を掴む。
「どういうこと」
「アジトまで運んでやる」
「どうして?」
「負けたんだから、大人しくしてろよ」
 全く、意味が分からない。男が飛び上がり、山を降りる。その揺れで男の髪が頬に触れた。再び、睫毛に雨粒が落ちる。
 規格外に大きい男に抱えられると、世界が小さく見えた。
「降ってきたね」
「言ったろ?」
「ふふ」
 舗装の甘い道を走る車みたい。がたがたと揺れる車体に不安を覚えながら、雨を感じる。風で顕になった額へ、袖から出た腕へ、首筋や、頬までも、侵されていく。雨よ降れ。私たちの存在証明のために。
 眼球に水の膜が張る。ウボォーの髪が存外柔らかいことに、私はやられている。
 すぐにアジトが見え、男の走る速度が緩んだ。どうせ崩れきっている、化粧など気にせず目元を拭い、濡れた髪を耳にかける。
「私あんたになりたかったの」
 男は着地し、足を止めた。
「……俺も、そうだったのかもしれねェな」
 いつまでも目的地に着いてほしくなくて、男の首元に顔を埋める。
「だが忘れちまったよ、そんな昔のこと。俺は俺、お前はお前だ。だからおもしれェんだろ?」
「……馬鹿ね」
「バカじゃねえ」
 太陽のような男が私に憧れるなど、たとえ一瞬でも有り得ない。降りしきる雨が髪をどかし、私のうなじを濡らしていく。ゆっくりと顔を上げ、歩いてきた道を見る。この最低な街で私たちは育った。自分がゴミだと知っていた。それでもこいつは太陽になった。たぶん私だけじゃない、みんなの希望なのだ。
 絶えず流れる雨のせいで目を開けていられない。細かく瞬きをしながら男を見つめる。この雨の中でさえ消えない男の瞳の鋭さに、どうしようもない心地になる。
「泣いてんのか?」
「雨よ。見れば分かるでしょ」
「そういやノブナガのやつ、昔はよく泣いてたよなあ」
「ふふ、懐かしい」
 体を降ろされ、自然と手を繋ぎながら、アジトの中に入る。暗い廃墟は、雨音を響かせている。
「あいつに言われたんだよ。を気に入ってんだろって」
 下着まで雨が染みてしまって、気持ち悪い。手を離し裾を絞ると、コンクリートの黒が範囲を広げた。
 ──気に入ってんだろうな。
 ──ウボォーは仲間想いよ。
 何年も前の会話だが、はっきりと思い出せる。泣き虫だった男が随分と達観した目をするので、驚いたこと。もちろん私への嫉妬も含まれていただろう。
「なんて答えたの」
「当たり前だろっつってやった」
「ふうん。そうよね」
「考えてみりゃ、お前とも長い付き合いだよな」
「そうね……」
 男の隣に座ろうか迷い、結局斜め向かいのコンクリートに腰掛ける。
 私たちは運命という不確かなものに導かれているように思う。私たち。流星街の住民であり、幻影旅団であり、ひいてはウボォーギンと私である。
「いつから……あなたに守られる女になっちゃったのかな」
 一人と一人であるのに、私たち、と思ってしまうのは私の悪い癖だった。私はこの男と一纏めにされたい。でもそれは守られたいという意味ではないのだ。
 いつだか、クロロと愛について話したことを思い出す。感情は区別できるものではないというのは、真実だ。複雑で、言葉に表せやしない。
「守られるようなタマじゃねえんだ、お前は。分かってるさ。俺が目ェ離せねえってだけだ」
 男の呟きで現実に引き戻される。
「ふふ。ドラマみたいなこと言うのね」
 茶化す言葉に、男は拗ねたように鼻を鳴らし、抱えていたウイスキーの瓶を呷った。男がそれを置く乾いた音が響く。
「そっちに行ってもいい?」
「いいぜ」
 無駄な会話だ。無駄な──温もり。傍に立ち、目を見る。「ウボォー」その頬を両手で包み込むと、腰を抱き寄せられ、拒否する間もなく唇がぶつかった。酒臭く、分厚い唇。初めてのはずなのにやけに馴染むそれにまた、運命を感じる。無駄なことだと知っているのに。
 憧れと、強い興味、それから……。
 どちらかと言うと雑だが、人間の殺し方を心得ている手。だからこそ抱き潰さないでくれること、それが、悲しくもあった。
「さけくさい」
もだろ」
「ふふ、嫌なの?」
 もう一度、分かりきった答えを紡がせないために唇を押し当てる。諦めきれないというのは本当に厄介だ。手に入れたいと思ってしまう。この男の全てを。
 幾度か交わった後、唇が離れ、私は男の太ももに膝をつく。濡れた胸元は柔らかく、男の生を実感した。
「ちいせえなあ、お前は……昔っから」
 愛しむような声が落とされ、いたたまれなくなる。あなたが大きすぎるだけだとは言わず、ただ黙って、私を抱きしめる腕を感じる。あの時のことを覚えていてくれたのだろうか、そうでなくてもいい、私が勝手に思い出してしまっただけだ、でもどうしても、安堵は拭えない。
 ああ、こいつに全てを預けたい。私が手に入れたいと願うのと同じように、私を手に入れたいと願ってほしい。
 顔を上げ、男の目を見る。これほど目に感情が表れる人間も珍しいだろう。未だ水気の抜けない髪を男がゆっくりと撫でる。なんとか我慢しているといった手つきに思わず笑いが漏れた。
「チッ……なんだよ」
「ふふ、なんでも。今日は帰るわ」
「バカ、帰んじゃねえよ」
「……どうして?」
「……言わなきゃ分かんねえか?」
「言ってほしいのよ。嘘でもいいの。分からない?」
 咄嗟に引き留めただけなのだろう、男は気まずそうに目を逸らし、私を抱えていない方の手で頬杖をついた。膝が痛くなってきたので、腰を下ろす。
「確かに俺は、お前を気に入ってる。嘘じゃねえ。けど、女として見たことはなかった」
「でしょうね」
「だから迷って……あー、……迷ってたぜ。つい、さっきまでな」
 想像以上に真摯な答えをくれる男に手を伸ばし、生え際を撫でる。嘘でいいなんて、嘘だ。でも嘘であってほしいとも思ってしまう。少しの間の後、その手が掴まれ、痛いくらいの力で握られる。
 力強い瞳。普段の獰猛さはなりを潜め、ただ想いをぶつけてくるそれに、泣きそうになる。
「帰るな。……お前が足りねえんだ」
「……ありがと」
 どうにか礼を口にして、男の首に腕を回す。しっかり私を抱き留めた腕に、ドラマみたいだな、と思う。私が、まともには生きていけない私たちが、こんなに幸福でいいのだろうか。体温を分け与えるような抱擁。
 降り続く雨の音に包まれて、私たちは世界でたった一つの存在となる。ああ、これが愛だと言うなら、甘んじて受け入れよう。そしてどうか、いつまでも続きますように。

ミミ様、この度はリクエストを送ってくださり、ありがとうございます。長くなってしまった上にあまり甘くなりませんでした。大変申し訳ございません。キスしてるので許してください!リクエストありがとうございました!
title by alkalism/201003