アイスクリームにすきのひとひら
雪の降る音は聞こえない。世界には私しか存在しないのだとでも言うように、ただ積もっていく。ひたすら静かな街を眺め、カーテンを閉める。
この国はいつも寒い。ずっと、白い。たぶんそういう役割を神様に与えられたのだと思う。前に「私説ナーデ史」と称してその件について男に話したら、呆れたような顔をされた。
テレビの前のソファーに腰掛け、ココアをローテーブルに置く。彼はいない。深夜のニュースを前にため息を吐く。そして何年も前、こことは真逆の、いつも暑くて溶けてしまいそうな国を旅行したことを思い出す。
一人で他国に、しかも遠すぎるところに行ったのはただの気まぐれだった。何もかも嫌になったとか、死にたいとかの感情があったわけではない。今思うと、生まれ育ったあの場所から離れてみたかったのだろう。
彼はそこにいた。暑さに慣れていない体が調子を崩した時、たまたま近くにいただけだ。後から、別に体調が悪そうだったから助けたわけじゃないと言われてしまったので、たぶん彼には彼の目的があったのだと思う。とにかく私は宿の場所を告げ、意識を手放してしまった。
次に目が覚めた時見えたのは宿の天井で、全身のだるさを自覚した。外は暗くなっていて、数時間寝てしまったこと、助けてくれた男がいないことを確認する。
「起きたか」
不意に開いたドアにびくりと肩がはねる。ビニール袋片手に部屋に入ってきた彼は私の様子などお構いなしといった様子で、床に座った。あの時は気づかなかったが、巨大な男だった。その上顔は傷だらけで、見るからに普通の人ではない。
「あの……ありがとう」
「暇だっただけだ。どこから来た?」
「ナーデ」
「女一人で? しかも、倒れるってことは慣れてねえんだろ」
「……あなたは?」
「何が」
「……なんだろう。じゃあ、名前とか」
「フランクリンだ。だったか」
「ああ……荷物、見たのね」
「数枚もらったが、あとは盗んじゃいない」
「いいわ、お金なんて。帰国できれば」
ベッドわきの机に置いてあったペットボトルを手に取る。半分くらい一気に飲むとだいぶ気分がマシになった。額に手を当て、熱の有無を確かめてからベッドを降りる。ビニールの隙間からアイスのカップが見えた。
「フラン」
「……なんだ?」
「いつまで暇なの?」
彼もまた、旅行者らしかった。旅行というか、仕事で来たものの終わってしまって暇だからしばらく滞在すると。ここは過ごしやすいと信じられないことも言っていた。確かに、気候を置いておけば人がおおらかで、国全体が豊かなため、よそ者に優しい。私は数日過ごしてみてさっさと帰りたかったけれど、彼が違うことは分かったので、一緒に行動しようと誘った。
玄関のドアが軋む音がして、意識が浮上する。テレビショッピングはわあわあとうるさい。考えているうちに寝てしまったようだ。
「ひでえ雪だ」
呟く声に振り向くと、やはり彼がいる。「おかえり」「ああ」この国特有の分厚い生地のコートや帽子を身に着けていると、記憶の彼よりも一層大きく思える。コーヒーでも入れてあげようと立ち上がった。荷物を置いた後、再びドアの音がして、もう一度外に出たのが分かる。雪を払っているのだろう。
ドリップコーヒーに少しずつお湯を注いでいく。この作業は、ココアを作るのとは違った緩やかな安堵がある。満たされるのはカップの中身だけではない。そうしているうち、キッチンにのそりと彼が現れた。
「アイス食うか?」
「アイス? ふふ、ひどい雪だっていうのに」
「うるせえ」
「ごめん。アイス、好きなの」
「知ってる」
ナーデは新鮮な氷が多くあるため、私は小さい頃からアイスが大好きだった。最後の一滴までカップに落とし、紙の取っ手をカップから外す。彼は冷凍庫にビニールごとそれをしまっている。縁に押し付けるとまだ染み出したのでそれを振って生ごみ入れに捨てた。
彼は礼を口にしてからそれをひとくち飲んだ。頭に彼の手が乗せられる。ぎこちなさは以前と比べればなくなったけれど、こうされる度、この人は不思議だなと思う。何故だろう。ちぐはぐだからだろうか。全部。
「久しぶりね」
「ああ」
「さっき、ちょうどあなたと出会った時のこと思い出してたの」
「お前が倒れたやつか」
「そうよ。あなたが助けてくれたやつ」
常夏の国で、彼が持ってきてくれたアイスクリームのなんと美味しかったことか。彼のおなかにぶつかってみる。服も手もまだ冷たい。カップを置く音。一度体を離した彼は目の前にしゃがみ、じっと私を見た。両手で頬を包むように触れる。傷痕が指に馴染んで、私は嬉しくなってしまう。
「何笑ってんだ」
「べつに。私、あなたのことも好きよ」
「……なんだ、そりゃ」
照れているのか目を逸らした彼に口づける。私だけではない。この世界には彼がいる。奇妙な縁によって。
唇が離れるとそのままゆっくりと抱きしめられる。この人はいつかいなくなるだろう。私もまた、彼の前からいなくなる日が来るかもしれない。それでも今だけは、ぬるま湯のような彼の優しさに触れていたい。首に腕を回す。
雪の降る音は聞こえない。世界には私たちしか存在しないのだとでも言うように、ただ積もっていく……。
mm様、この度はリクエストを送ってくださりありがとうございます。全員好きなので迷ったのですが、フランクリンを書きたい気分になったのでフランクリンを……。特にご指定がなかったため好き勝手書かせていただきました。シズクもまた書きたいです……。それから、温かいお言葉、本当にありがとうございます。こちらこそ、これからも見守っていただけますと幸いです。リクエストありがとうございました!
title by オーロラ片/191217