愛になれなかったこども

※流血、嘔吐描写


 倒れて痙攣している男の心臓を潰す。全身血まみれになりながら、肉塊を切り刻んでしまう。彼女は何を考えているのか、じっとこちらを見ている。わたしは汚い。何度そう伝えても、この女は絶対に認めない。わたしは汚くて、きみはきれい。急に吐き気の波が来て、男の死体の上に胃の中身をぶちまける。調子に乗ってワインなんて飲むからこうなるのだ。でも、血と混ざっていい感じ。ひとしきり吐いた後、口元を拭うと血の味がした。
 食人の趣味はない。血がおいしいとも思わない。微塵も。でもきみの血肉は食べてみたい。たぶん、愛している。

 ホテルに戻るとシャワー室に押しこめられた。あの女はわたしを気狂いだと思っているのかもしれないなと思う。仕方なくお湯を出し、汚れた衣服を剥ぎとる。殺しの後は熱いシャワーが幾分心地よく感じられる。余計なことを考える必要がないからだろう。水圧で乳房が揺れる。のを、見る。足元に落ちた服からは赤が染み出している。ざああ。目を閉じる。
 いい匂いになったわたしの体を、女は黙って拭いている。あんたのお世話係じゃないと不満げに言っていた頃はまだよかった。わたしもきみの犬じゃないから。ぶよぶよと余分な脂肪がついたメスのからだ。
「マチ」
「なに」
「お腹すいた」
「吐いたからだろ」
「羊、おいしかったねえ」
「なんか盗ってくれば」
「シャワーは?」
「あんたが寝たら入る」
「ご飯は?」
「あたしはいい。五分以内に帰ってこなかったら今日の取り分減らすから」
「うん」
 濡れた髪の隙間からその小さい体を見る。気づいた女がタオルを顔に押し付けてくるので、それを受け取った。
 すこしだけマシな気分になることがある。おいしいものを食べた後。買い物をした後。シャワーを浴びた後。それから、マチとキスした後。
 ねえ、マチ。きみはわたしが死ぬ時、一緒にいてくれるだろうか。きっと無理だろう。わたしはきみの前で死にたくない。
 愛なんて知らない。誰も知らない。晴れきった空の美しさが心臓に突き刺さる。きみも、わたしも、汚れている。それでもきみだけがきれいであるべきだった。今日は雨は降らないと予報で言っていたのを思い出す。愛は分からないけれど、晴れた日のにおいは分かる。わたしの体はホテルのボディーソープの匂いがして、女からは未だ路地裏の子供みたいなにおいがする。あの女は孤独だった。そしてわたしのことを孤独で、馬鹿で、イカれてるだなんて思っているに違いない。そういうかわいそうな人間に、あれは弱い。匂いは誤魔化せるけれど、においは誤魔化せない。かわいそうなマチ。かわいそうなわたしたち。呼吸。白い息を裂くように、わたしは跳ぶ。
 わたしはきみに許されている気がする。映画の主人公よろしくビルからビルへ移りながら、想いを馳せる。女のくちびるや、死んだやつらの血液、口笛を吹く子供へ。パンがいいな。肉なら鶏がいい。きみをわたしは許さないけれど。
 もうすぐ、夜が明ける。

 適当なものを胃に入れ、女と一緒にテレビを眺める。普段この女がどう生きているのかよく知らない。確かなんとかという組織に所属していたはずだけれど、この女は秘密主義だから聞いても答えてくれないし、べつにどうでもよかった。ここに女がいて、わたしの言葉に反応してくれる。戯れに触れさせて、双眸が熱を持つ。布の奥はいつからか見せてもくれなくなったが、痴態になど興味はない。空想が自由であるというだけで充分だ。

「ん?」
「いい加減、一人で生きなよ」
「なんで?」
 女の大きな瞳の上でテレビ画面が踊っている。立てた膝に肘をつき、女はなんでもないことのように言う。
「あたしはあんたのお世話係じゃない」
 きみは嘘を吐くのが下手だね。感情がありすぎて、きみの手には負えないんだろう。ただ、口元を歪める。汚らしい笑み。
は変な癖を直せば誰とでも組めるだろ。組まなくたってそれだけ強ければ生きてはいける」
 ああ、愚かしい。
「マチは、わたしのことが嫌い?」
「そういう話じゃない。分かって言ってんだろ、あんた」
「うん。でも、嫌い?」
「嫌いって言ったら?」
「好きだよ」
 女はそれきり黙ってしまう。足を組む。脱げたスリッパが女の方へ倒れる。すきだよ、ともう一度呟くと彼女は目を伏せて、わたしから見えないように片手で顔を覆った。その手を掴んで無理やり顕にする。
「離せ」
「やだ」
 ゆっくりとその肢体を押し倒す。きれい。きみはきれいだ。何よりも。紫がかったやわらかな髪がシーツに広がる。空いている片手がわたしを殴ろうとするので、それも捕まえて、キスをした。甘美な口づけを女は享受してしまう。もうどうしようもないところまで来てしまったのだときみは気づくべきだ。小さすぎる手のひらが握りしめられるのを見る。口に含んだわけでもないのに血の味がするきみの唇には、それだけわたしが染みついているのだろう。
「わたし、きみが好き。きれい。ぜんぶ、すき」
「……あんたは汚くない。あたしよりよっぽど」
「わたしは汚いの。だから、きみとキスがしたい。大事なことなの。綺麗なひととキスするって、わたしみたいな汚れた人間には必要なことなの。ずっと一緒にいよ?」
 この女はわたしを憎むことができない。テレビから朝の挨拶が聞こえて、窓の外が明るくなっていることに気づく。これから先、一生会えなくても構わなかった。かわいらしいくちびるに噛みつく。女の足が緊張する。反吐が出るね。きみのこと、愛してるよ。たぶん。

むこ様、この度はリクエストを送ってくださり、ありがとうございます。暗い話を書こうとしたのですが途中でよく分からなくなってしまいました。暗いですか?!短いですが、ご査収ください。リクエストありがとうございました!
title by 喘息/191230